先生のためのアイディア帳

効果的な指導法やエトセトラについて

教育の「流行り」を考える:20世紀アメリカの教育思想史もほんの少し

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こんにちは。

 

今日は教育の「流行り」についてです。

 

教育現場の真っただ中で日々格闘していると、自分がしている教育活動が自分独自のもの、もしくは自分が所属している教科会や学校独自のもののように感じられることがあると思います。この「感じ」はある程度正しそうですが、でも残りのある程度は、実は自分が生きているその時代の教育の「流行り」を反映させているに過ぎないかもしれません。

 

そんなわけで、今回は歴史音痴の私が一生懸命教育史らしきものに言及するので、それを助けてくれる本の紹介から始めます。

Flinders, D. J. & Thornton, S. J. (2004). The Curriculum Studies Reader (2nd ed.). New York, NY: Routledge Falmer.

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 この本は北米の教育に大きな影響を与えた(ている)研究者の代表作をまとめたアンソロジーです。要は、アメリカ教育思想史ですね。(私は今カナダの大学院で勉強していますが、授業で扱われる文献はアメリカの研究者によって書かれたものがほとんどです。ちなみに、私の日本の教育史に関する知識・理解はゼロに近いので、いつか日本の教育史も勉強したい…)

 

さて、この本の目次はオンラインで確認できると思うのですが、こんな人たちが出てきます。

Franklin Bobbitt

John Dewey

Ralph W. Tyler

James Popham

Paulo Freire

Maxine Greene

Michael W. Apple

Elliot W. Eisner

Nel Noddings

 

あらためてこのラインナップを見てみると、これ、20世紀の始まり前後から今現在までしかカバーしていませんね。それでも、この短期間にも波のように教育の「流行り」が変遷しています。

  • 世界恐慌期:民主主義と資本主義に潜む不正義への批判的視点から、社会科のカリキュラムが活動家的な性質を帯びる。
  • 第二次世界大戦期:社会が保守化し、教育が持つ活動家的な側面が薄れる。
  • 冷戦期:国防のために、数学、科学、外国語学習が重宝される。専門家によって、根拠に基づいた方法で、教育が成功に導かれることへの期待が高まる。

 

本の中で21世紀以降がまだ上記のようにラベリングされていないのは、おそらく21世紀以降が「現代すぎる」からだと思いますが、それでもそのうち「技術革新」「人とモノの流動性」「多様化」などがキーワードになってそれらと教育との結びつきによって何らかのラベリングがされるような気がします。(もし私が読み落としているだけだったらすみません!)

 

あとは、ここまで大きな社会的事象がなくても、教育に「流行り」はできます。それは、教育界が常に「教育改革」「学校改革」を行っているから。「教育界はいつも学校改革をしている」と批判していたのはこの本の中だとアイズナーだったと思いますが、これは私のような平教員にはピンとこなかったとしても、彼のように第一線にいる教育のリーダーたちにはまぎれもない現実だと思います。

 

で、いつも学校改革をしていると何が起きるかというと、たぶん次の2つではないでしょうか。

  1. 現在の教育方法やそれを支える価値観の見直し
  2. 他の成功している分野・業界の方法論や価値観を取り入れる

で、これは私が大いに頷いた部分で、でも誰が言っていたかは忘れてしまったのですが、ここで教育界がやってしまうのが「全取っ替えに走ってしまうこと」なのだそうです。例えば、他の業界であれば「Aの欠陥を改善して、A-1-1を試作してみましょう」となるところを、教育界は「Aには欠陥があるので捨てて、Bに行きましょう」と行ってしまうと。

で、これがどんな「流行り」の波を作るかというと、私が予想するのは、何かしらの二極の間を常に行ったり来たりするタイプの波です。たとえば、「つめこみ」と「ゆとり」とか、「知的教育」と「情操教育」とか。英語という教科で言うと、「文法重視」と「コミュニケーション重視」とか。現行の教育活動のうまくいっていない箇所に注目しては、それを切り捨て、新しい成功モデルを採用し、また不具合を見つけ、それを切り捨てる。

で、ここに社会の大きな流れが合流すると、「ICTを活用しながら生徒の個性を生かした学習を実現する」といったような、さらに一段階大きな教育の「流行り」ができるのではと。

 

そんなこんなで、「大きな社会的事象×教育界の恒常的な学校改革」が一人一人の先生の日々の意思決定や実践にある程度は影響しているのではというのが私の考えです。

 

学校現場というのは年がら年中アホかというくらい忙しくて、それは先生方が常に問題や課題に直面しているからなのはもちろん、児童・生徒・学生や彼らの保護者、または同僚や管理職や地方自治体が「スピーディーな解決」を求めてくるからだと思います。直接そう言って迫ってくる人は珍しくても、少なくとも、先生たちはそのプレッシャーを実感していると思います。

 

そんな場合に、目の前の問題や課題について思いつく解決策を挙げた後で、そこにどんな根拠があるか、それがどれくらい今の流行りに影響されているのかをチラリと確認できると、より効果的な意思決定とその実施ができるかもしれません。それが、児童・生徒・学生とのかかわり方であっても、シラバスや授業案の作成であっても、それこそ学校改革であっても。

 

次回はこれに関連したことをさらに書きたいと思います。それではまたその時まで。

 

Happy teaching, my friends!!

 

参考:

Flinders, D. J. & Thornton, S. J. (2004). The Curriculum Studies Reader (2nd ed.). New York, NY: Routledge Falmer.

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教員にとって「裁量権が大きい」が意味することとは?:長時間労働の原因をマネジメントの視点から考える

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こんにちは。

 

このブログで教員の働き方について書く予定はなかったのですが、気持ちが向いたので今回はその辺りのことを書いてみます。

 

今回の主な参考文献はこちらです。

Wermke, W., & Höstfält, G. (2014). Contextualizing teacher autonomy in time and space: A model for comparing various forms of governing the teaching profession.

これは私にとってものすごくインパクトの大きい論文で、一生忘れないと思います。というのは、この論文が私に「教員に大きな裁量権が与えられているというのは教員にとって本当に良いことなのか?」ということをまったく新しい視点から考えさせてくれたからです。

 

たとえば、1年目のA先生に授業計画から定期テストの作成や成績算出までが任されているような状況は、その先生にとって「教員に大きな裁量権が与えられている」もしくは「自由度が高い」と言えると思います。実際にここまで極端な例はほとんどないと思いますが、これに近い話はあるかもしれません。

 

このような場合、「やあ~、A先生は自由にやらせてもらえるんだねえ!」という受け止め方が一般的かと思います。そして当のA先生自身もやりがいを感じて業務に専念しているのではないでしょうか。

 

特に、文科省などが言っているように教員を専門職だとした場合、「大きな裁量権」というのは殊更に重要なものだとみなされる傾向があるように思います。たとえば、私のカナダでのクラスメートが「ある海外の学校で教え始めた時に、学期の初めに完成したパワーポイントを渡されてそのとおり授業をするようにと言われた」という話をしていてクラスがざわついたことがありましたが、これは「裁量権ほぼゼロ」な状態です。何も考える必要がないという意味では楽と言えば楽かもしれませんが、いつかどこかの時点で「私、いらないんじゃ…?」となるかと思います。

 

私自身、かなり長く学校で勤めていた中で一度もこの「大きな裁量権」について疑問視したことはありませんでした。

 

そして学校を退職して偶然出会ったのがWermke & Höstfält (2014)の論文でした。私にとって目から鱗だったのは、彼らが「マネジメント」の視点から学校教育を分析していたことでした。「裁量権」をカテゴライズしながら、「ある種の裁量権が大きいことは教員を自由にするが、別のある種の裁量権が大きいことは教員の負担を増やすことにつながりやすい」という趣旨のことを、ヨーロッパ数か国の教育の現代史を振り返りながら掘り下げています。

 

ちなみに、著者2人は活動拠点がスウェーデンにあり、論文自体は「スウェーデンの公教育に対する建設的な批判」のように書かれています。

 

まず、2人は学校のマネジメントを以下のように2分しています。

  1. 「過程(プロセス)コントロール型」
  2. 「結果(プロダクト)コントロール型」

 

1は「結果はどうなっても構わないけれど、この過程(指導法)はきっちり踏んでください」、2は「過程(指導法)はどうなっても構わないけれど、結果はきっちり出してください」というマネジメント方法です。このエントリーでは日本に注目して考えようと思うのですが、どちらが日本の学校教育だと思われますか? 私なら2だと答えます。

 

日本では、表面的には、各先生がノルマを追って何かしている学校は多数派ではないと思いますが、先生が期待されている結果を出せなかった場合に、たとえば「仕事が増える」というような形で結果的にペナルティーと同等のものが課されているような状況はいくらでもあると思います。たとえば、

  • 担任しているクラスの生徒を全員進級・進学させられなかった場合
  • 受験学年が例年よりも良い結果を出せなかった場合

などでしょうか。

 

さて、この「結果コントロール型」の学校で「教員の裁量権が大きい」ということは何を意味するでしょうか。Wermke & Höstfält (2014)は丁寧に論じていますが、簡単に言うと以下のようになります。

  • 「目標とされる結果」に対しては、教員は相変わらず裁量権を持たない
  • 「目標とされる結果」が達成されたかどうかを測る方法についても、教員は相変わらず裁量権を持たない
  • 「目標を達成する過程」については大きな裁量権がある

 

著者はこのような裁量権をservice autonomyと、そして、ここでの教員をservice deliverersと呼んでいます。ありそうな結末は、教員が「サービス」をどんどん拡大していくことです。そうでないと、目標を達成できないので。(すでに力があって心身ともに健康な生徒を入学させてそのまま卒業させるのであれば話は別ですが、それができる学校は実はないのではないかと私は思っています。)

 

本の学校の先生は、管理職からはっきりそうとは言われていなくても、暗に「期待されている結果」があることを感じていて、そのために自分の「サービス」を拡大しているように思います。そして、管理職もそれを制限しようとしない。根本にあるのは、「生徒のためになることなら何でもしたい」という先生(管理職も含めて)の思いだと思います。それ自体は問題ではないのですが、これが結果として招く教員の「働き方」には大きな課題が潜んでいます。過労死ラインに届くような長時間労働や燃え尽きがその先に見えているので。

 

ここで注目したいのが、Wermke & Höstfält (2014)がフィンランドをservice autonomyの低い国に分類していることです。マネジメントに関して言うとフィンランドは「過程(プロセス)コントロール型」として分類されています。詳しく書かれていないのでこれは論文全体からの私の推測になりますが、「フィンランドでは『指導法』に関してはわりと統一化された指針があり、かつ、『教育目標やその達成を測定する方法』に関しては教員が比較的大きな裁量権を持っている」ということかと思います。(全然違ったらすみません!)

 

「教育と言えばフィンランド」のフィンランドが日本とは違ったマネジメント方法を取っているということは、知っていて損はないかと思います。ただ、フィンランドはそもそも日本や北米と同じ土俵にいない感じがかなりあるので、「フィンランド式~」からどこまで日本で実行可能なものを抽出できるかはまた別の話になりそうです。

 

最近のメディアで報じられている「働き方改革」を見ていると、マネジメントのレベルでの取り組みと先生個人のレベルでの取り組みがあるだけでなく、「マネジメントのレベルでの取り組みに見えて結局は先生個人のレベルでの取り組みになっている取り組み」というのもあります。私の希望としては、マネジメントのレベルでの取り組みがもっともっと進んでほしいです。

 

それでは、次回はまた何か指導に関することに戻ろうと思います。それではまたその時まで。

 

Happy teaching, my friends!!

 

参考:

Wermke, W., & Höstfält, G. (2014). Contextualizing teacher autonomy in time and space: A model for comparing various forms of governing the teaching profession. Journal of Curriculum Studies, 46(1), 58-80.

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「学び方」を身に着けている生徒が伸びる

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こんにちは。

 

今日はこの辺りこの辺りとつなげて、「『学び方』を身に着けている生徒が伸びる」ということを書きます。(前回「次回はフィードバックについて書くかもしれません」と言って終わりましたが、それについてはまたいつか。)

 

「学び方」をパッと英語にしようとするとhow to learnが出てくると思いますが、アカデミックな書き物に頻出する用語で考えると、learning strategiesが当てはまりそうです。

 

「学び方」とかlearning strategiesというと大ごとのように聞こえますが、先生方はすでにかなりの確率で生徒たちに「学び方」を指導されたことがあると思います。たとえば、

  • ノートの取り方
  • 暗記法
  • 勉強時間のスケジューリングの仕方
  • やる気がでないときの対処法

といったものでしょうか。

 

もしくは、教科に関して言うと、たとえば英語なら、

  • 語彙力を上げる方法
  • リスニング力の伸ばし方
  • 多読のための適切な本の選び方
  • 英会話中に緊張しない方法

などですかね。

 

興味をお持ちの先生は、learning strategiesでGoogle検索をしてみて下さい。海の物とも山の物とも知れないものまで含めて(失礼)、わんさか出てきます。

 

strategyという単語は、Archer & Hughes (2011)によると以下のように定義されています。

systematic plans or approaches for solving a problem or completing a task that involves series of sequential steps(p.23)

問題を解決するため、もしくは複層的な課題を遂行するための体系的な計画や方法(訳:私) 

*日本語が急に小難しい感じになってしまってすみません…

 

つまり、何かを学んでいて「困ったな」と思った時、この困った状態(問題)を解決するために使える方法がlearning strategiesもしくは「学び方」というわけです。または、段階を追って処理する必要があるような複雑な課題に取り組むために使える方法がlearning strategiesもしくは「学び方」というわけです。そう考えると、詳しく調べていないので私の推測にすぎませんが、learning strategiesもしくは「学び方」というのは学びの状況の数と同じくらいあるのかもしれません。

 

実際の指導の現場では、生徒が「困ったな」と思う前に先生が「学び方」を示していることが多いような気がします。たとえば、私の今いるカナダの大学では図書館司書や職員の皆さんがノートの取り方、リサーチ関連のデータの管理の仕方、ディスカッションへの参加の仕方などの多岐に渡る話題についてワークショップを開いています。こんなふうに「対処法、ここにありますよ!」と働きかけることは、学生が本格的に「困った…」となる前の予防策にもなっていると思います。

 

終わりに一応参考文献を挙げましたが、それをするまでもなく多くの先生がお察しのとおり、また私も冒頭でも書いたとおり、「学び方」を身に着けている生徒というのは伸びるものです。というのは、学びという行為そのものが問題を解決することや課題に取り組むことの連続だからです。

 

ちなみに、複数の論文の中で繰り返し書かれていることで私が面白いと思ったのはこの2つです。

  1. 優秀な学習者はそうでない学習者より自分の学びの過程について自覚的である
  2. 優秀な学習者はそうでない学習者より多くのlearning strategiesを駆使している

 

優秀な生徒は何も考えなくても何でもできてしまうから優秀なのではなくて、よく考えながらわからないことやできないことについてきっちり対応しているから優秀だということですね。

 

上の2つをこれから生徒を指導する先生目線で言い換えると以下のようになるでしょうか。

  1. 生徒が、自分が今何をやっているのか自覚できるように指導するのが理想的
  2. 生徒が複数の学び方を使いこなして学べるよう指導するのが理想的

これは前回のエントリー「できる生徒=自己評価ができる生徒」とかなり関連しますね。

 

ここで注意しておくべきなのは、テッパン(古い?)の「学び方」というのはなくて、各学習者が自分にとって効果的に働く「学び方」をたくさん身に着けていて、それを状況に応じて使い分けられるようになっていることが大切だということでしょうか。(これは「生きる力」にもつながりそうですね。)

 

具体的な教科指導を改善することはもちろん、「学び方」の指導を改善することも生徒の学びの質の向上に大きくかかわります。この「教科指導」と「学び方の指導」がものすごく近づいているのが今言われている21世紀型学習というものなのではないかと思ったり思わなかったり…(適当)

 

次回の内容はまだ決めていませんが、またその時まで。

 

Happy teaching, my friends!!

 

参考:

Archer, A. L., & Hughes, C. A. (2011). Explicit instruction: Effective and efficient teaching. New York: Guilford Press.

Nazri, N. M., Yunus, M. M., & Nazri, N. D. M. (2016). Through the lens of good language learners: What are their strategies? Advances in Language and Literary Studies, 7(1), 195-202.

Pichon, E. L., Swart, H. D., Vorstman, J. A. S., & Bergh, H. V. D. (2013). Emergence of patterns of strategic competence in young plurilingual children involved in french international schools. International Journal of Bilingual Education and Bilingualism, 16(1), 42-63.

Yang, P., & Wang, A. (2015). Investigation the relationship among language learning strategies, english self-efficacy, and explicit strategy instructions. Taiwan Journal of TESOL, 12(1), 35-62.

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できる生徒=自己評価ができる生徒

こんにちは。前回(↓)の終わりに一言添えたとおり、今回は「生徒による自己評価」について書いてみます。

 

主な参考文献はこちら。Nilson (2013) のCreating Self-regulated Learners: Strategies to Strengthen Students Self-awareness and Learning Skillsです。

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日本語だと『自律して学ぶ学習者を育てる:生徒の自覚と学習スキルを高める方法』という感じでしょうか。(大学の先生向けに書かれてはいますが、幼保から高校、専門学校、塾、教育の現場であればどこでも使える「へえ~!」なアイディアが125ページ程度の中にぎっしりつまっている良書です。)

 

「生徒がself-regulated learnersになるための手助けをする」ことは、私がこれまで学んだ限りでは、まず間違いなく「教育(教員)の究極的な目標」の1つです。「21世紀型スキル」などの用語が出てくるずっとずっと前から、教育は「子供たちが予測不可能な未来の社会で生きていけるようにする」ことをその大義にしてきました。これが、「コンテンツ」よりも「学び方」を教えることの方が、つまり「今100点が取れる学習者」よりも「自律して生涯学び続けられる学習者」を育てることの方が大事、というような考え方につながるわけです。

 

ちなみに、self-regulated learnersの次の段階としてself-directed learnersがセットになって紹介されている論文もいくつか読んだのですが、self-directed learnersというのは「自ら方向を決めて学ぶ学習者」というような感じです。これは、課題の発見から解決策の発案・実行と評価・見直しという、始まりから終わりまですべて自分で自分を導いていく学習者のことです。self-regulated learnersの場合は、課題や評価方法などといった枠組み自体は教員やコーチなどの指導者によって決められており、そこがself-directed learnersとの違いだろういうのが今のところの私の理解です。

 

前置きが大変長くなりましたが、では、このself-regulated learnersがどう「生徒による自己評価」に関係するのでしょうか。こちらの引用をご覧ください。 

[S]tudents who assess their work accurately – that is, the same way their instructor does – tend to be higher-achieving and more advanced. (p.11)

正確に自己評価をする生徒は、つまり指導者がするように正確に自分自身を評価する生徒は、より良い結果を出し上達する傾向にある。(訳:私)

自分のことを振り返りながら読むと「そうそうそうそう」と頷きが止まらないこの1文。特に、自分が「良い結果を出せず上達もしなかった」学びの経験を振り返ると、いかに自分が自己評価をできていなかったか、それ以前に、効果的に自己評価をする機会すら与えられなかったかが思われて、正直恨めしい気持ちになります…(今でも「ものすごく数学ができるようになりたい」という夢を捨てきれない私です。)

 

そう、この引用は裏を返せば「自己評価が誤っている生徒は良い結果を出せず上達もしない」ということを言っているのです。では、彼らはなぜ正確な自己評価をできないのでしょうか。それは、「評価基準がわからないから」ではないでしょうか。少なくとも、私はそう思っています。教員が生徒が確実に理解できるように評価基準を提示していなければ、ほとんどの生徒は誤った自己評価をするか、自己評価を試みる前に途方に暮れるかします。いわゆる、「何がわからないのかわからない」という状態です。この先に待っているのは恐らく「ギブアップ」です。

 

今間違っているのはどの評価基準を満たしていないからなのか。次に何を修正すれば評価基準を満たしたことになるのか。これが具体的にわかっていれば、そして、手助けをしてくれるクラスメイトや先生がいれば、どんな生徒でもきっとかなり正確な自己評価ができるようになるはずです。具体的な評価基準の重要さについては初回からしつこく書き続けてきましたが、一応、最も関連性の高そうな2つを以下に挙げておきます。

 

  

そんなわけで、ここでもやはり具体的に書かれたルーブリックは役立つと言えそうです。さらに、ルーブリックの効果を最大限にするために、たとえば授業の半分やすべてを使って、各項目についてクラスやグループで「これはどういうことか」「これはなぜ大事なのか」といったテーマを話し合わせ、生徒のルーブリックへの理解を深める手助けをすることもできます。ルーブリックをゼロから生徒と一緒に作るという選択肢もありますが、他の先生と組んで同じ授業を教えている場合にはこれは現実的ではないかと思います。

 

もちろん、ルーブリックは万能ではないということも頭に置いておかなければいけません。たとえば、Huang & Gui (2014) は、実際の英語の授業を使った研究で「発音と時制に関してはルーブリックはほとんど効果がなかった」という結論を出しています。ルーブリックの作り方にもよるかもしれませんが、でも、想像できますよね。自分が正しい発音をしているかどうか、ノン・ネイティブが正確に自己評価するのって難しいじゃないですか。同様に「これwill workかなー、will be workingかなー」というのはネイティブが実際に使っているのを山のように聞いてもまだ確信が持てないような領域のことかと思います。(私だけ?)こういう場合は、人間と人間がコミュニケーションをとりながら評価を正確にしていく必要があります。

 

ルーブリックを使う生徒の様子を観察しながら、何はルーブリックでカバーできて何はルーブリックではカバーできないかを判断し、後者を授業内の学習活動として扱ってカバーすることもできそうですね。(これもformative assessment/feedbackです。)ペアワークやグループワークなどで生徒同士にお互いの自己評価を手伝わせることから、生徒と教員のQ&Aまで、やれることはたくさんありそうです。

 

長くなってしまいましたので、今回はこの辺りで。次回はフィードバックについて書くかもしれません。それではまたその時まで。

 

Happy teaching, my friends!!

  

参考:

Huang, Y., & Gui, M. (2014). Articulating teachers’ expectations afore: Impact of rubrics on chinese EFL learners’ self-assessment and speaking ability. Journal of Education and Training Studies, 3(3), 126-132.

Nilson, L. B. (2013). Creating Self-regulated Learners: Strategies to Strengthen Students Self-awareness and Learning Skills. Sterling, VA: Stylus Publishing.

 

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目標達成につながる「生徒の活動」を授業の中心に

こんにちは。

 

2019年初の本エントリーも相変わらず評価についてです。が、今回は、評価が行われるために不可欠な前段階である「生徒の活動」に注目してみます。

 

「生徒の活動」なくして評価はありえません。「生徒の活動」は教員にとって生徒の学びを評価するための唯一の参考資料だからです。加えて言うと、評価なくしてフィードバックはありえず、フィードバックなくして学びの向上はありえません。(自己評価能力が高い生徒は例外として。)いろいろ言いましたが、要は、「生徒の活動」は学びの向上ために不可欠だと繰り返しているだけですね、すみません。

 

前回のエントリーで挙げた「中1英語、夏休み前の時点で学年の約半分がbe動詞と一般動詞を混同している問題」を例として考えてみます。ちなみに、評価の指標としては以下の4つを挙げました。

  1. 「見て(聞いて)区別がつく」
  2. 「英作文で正しく使い分けられる」
  3. 「しゃべったときに使い分けられる」
  4. 「2つのちがいを説明できる」

上記の問題を解決しようとして授業をする場合、生徒は最終的には「1. 見て(聞いて)区別する」「2. 書いて使い分ける」「3. しゃべって使い分ける」「4. ちがいを説明する」という4つの活動をすることになります。そのためには、先生は、この4つの活動を可能にするための指導をするのはもちろんのこと、生徒に練習(←これももちろん「生徒の活動」です)させ、その練習を観察・評価し、生徒にフィードバックを与え、さらに練習させることになります。(これがここここで書いたformative assessment/feedbackです。)これをすることで、生徒は自分の活動を修正・改善しながら目標に着実に近づいていくことができます。

 

ここでもし、「生徒の活動」が「座ってノートを取ること」と「授業の最後にテストを受けること」だった場合、生徒が目標に程遠い結果しか出せなくても、それは当然ですよね。練習も評価もフィードバックも何もなしに、できなかったことができるようになるはずはありませんので。

 

ここで、私がとても気に入っているチャートを1つご紹介します。(https://teaching.temple.edu/edvice/practice-and-assessment-grading-and-feedback

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Cycle of Practice and Feedback

(外側の円)

  • 「練習」が 「パフォーマンスの観察」につながり
  • 「パフォーマンスの観察」が「目標達成につながるフィードバック」を可能にし
  • 「目標達成につながるフィードバック」が次の「練習」がどうあるべきかを決める

 

(内側の線)

「目標」は

  1. 「練習」がどうあるべきかを方向づけ、
  2. 教員が「観察したパフォーマンス」を評価することを助け、
  3. 「目標達成につながるフィードバック」を形成する (訳:私)

 

 

これを見ると、練習をさせてこそ「生徒が何ができて何ができていないか」、そして「目標に近づくために何が必要か」を先生が正確に評価できることがわかります。これが先生から生徒へのフィードバックに反映され、さらに次の練習へとつながっていきます。

 

この「生徒の活動大事!」という考え方を前回のバックワード・デザインに組み込んだ場合、先生が授業や単元を計画する手順は以下のようになりそうです。

  1. 課題を発見する (課題=生徒にできてほしいが、生徒がまだできないこと)
  2. ゴールを設定する
  3. 評価方法を決める
  4. 生徒の活動を決める
  5. 指導法を決める
  6. 教材を決める

 

授業時間は先生にとっては文字通り「アッ!」という間に過ぎていきます。その短い短い時間を上手にデザインして「生徒の活動」をメインに持ってくることが、きっと、生徒の学びを促進する授業のカギになります。

 

次回は生徒による自己評価について書く予定でいます。それではまたその時まで。

Happy teaching, my friends!!

 

参考:

Ambrose, S. A., & Mayer, R. E. (2010). How Learning Works: Seven Research-based Principles for Smart Teaching. US: Jossey Bass Ltd.



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ルーブリック作成から始めるバックワード・デザイン

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こんにちは。

 

今回はバックワード・デザインについてです。前回のルーブリックに関するエントリーとの関連性は最後に少しだけ。

 

バックワード・デザイン。backward(後ろ向き)という言葉の通り、ゴールから逆算しながら授業を計画していく方法です。大学などの教職課程で教わりましたか? 私は当時「バックワード・デザイン」(または「逆向き設計」)という用語を聞いた記憶はないのですが、この方法自体はなんとなく教職課程で習った気がしないでもありません。私から見ると、多くの先生が常日頃から頭の中で自然とバックワード・デザインをやっていらっしゃるように見えます。

 

例を挙げるとこんな感じでしょうか。

  1.  中1の夏休み前、学年の約半分がbe動詞と一般動詞を混同していることに気付く(課題/解決すべき問題の発見)
  2.  9月の最初の授業5回を使って、be動詞と一般動詞が区別できるようにしたい(目標の設定)
  3.  新しい語彙や表現が少なく、be動詞と一般動詞に集中できるような教材が必要(教材の決定)
  4.  通常授業は発話中心だが、この5回はドリル形式の練習も行う(指導法の決定)

で、ここを叩き台にして5回分の授業で何をどうするかを具体的に計画してく…。というのがバックワード・デザインっぽいのですが、実はここにもう一項目加わるのだというところがミソで(あると少なくとも私は思っていま)す。

 

「2. 目標の設定」の後に「評価の指標・評価方法の決定」という項目が入るのです。具体的には、「3. 何をもって”be動詞と一般動詞が区別できた”と評価するのか、そして、どんな方法でそれを評価するのかを決める」といった感じで。

 

まず、「何をもって”be動詞と一般動詞が区別できた”と評価するのか」という評価の指標ですが、これは以下のように複数考えられます。

  • 「見て(聞いて)区別がつく」
  • 「英作文で正しく使い分けられる」
  • 「しゃべったときに使い分けられる」
  • 「2つのちがいを説明できる」

例えば、この4つの指標すべてを採用した場合、1回の授業につきこの内の1つに焦点を当てるとかいったふうに、授業の組み方が自動的に決まってきます。

 

そうすると、次の評価方法も、「この日はペーパーテストで」「この日はスピーキングで」「この日は活動の観察で」といったように、評価の指標に合ったものが自動的に決まってきます。そうすると、「各授業のシメの活動でよいパフォーマンスをするためには生徒はどんなサポートを必要としているか」と逆算して各授業の中身を決めていくことができます。

 

目標設定というのは、学習指導要領や各学校のシラバスの中で行われているのですが、「じゃあそれどうやって評価するの?」というところは実は十分に議論されていないような気がします。もちろん、小テストや定期考査といった評価方法はあるわけですが、それらが当初設定された目標に対する到達度を測るのにはふさわしくない場合があるのではないでしょうか。

 

たとえば、中1英語だとこんな感じでしょうか。

目標:生の英語にふれながら中学英語の基礎となる語彙と文法力および発音を身につける

評価方法:小テストおよび定期考査

 

もし「生の英語にふれる」ことや正しい「発音を身につける」ことが目標なら、それらをどう評価するのかを決め、実際に評価し、その評価を成績に反映する必要があります。ですので、上記のような状態には目標と評価との間にミスマッチがあるということになります。

 

こういう目標と評価のミスマッチを解消するためのお役立ちツールがルーブリックだと私は思っています。

 

目標を設定した後、教材や指導法を決める前、ここに「ルーブリックの作成」というステップを入れる。これです。大きな目標に対して、ルーブリックに入る各項目は「小さな・具体的な・評価(計測)可能な目標」となります。大きな目標が大きな(あいまいな)ままだと、評価方法もあいまいになり、そして各学習活動の目的もあいまいなままになりがちです。

 

「バックワード・デザインはルーブリックの作成から始まる」と言っている研究者もいるほど(出典を忘れてしまったのですが)、ルーブリックの作成が授業計画・実施に対してもつポジティブな影響力というのは計り知れません。1単元分のシングル・ポイント・ルーブリックなどをぜひ試しに作ってみてください。「なるほどね~!」となること間違いなしです。

 

シングル・ポイント・ルーブリックについてはこちら

 

 

それでは、また次回まで。

 

Happy teaching, my friends!!

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ルーブリックとは何か(その定義と具体例)

こんにちは。

 

今日はルーブリックについてです。ルーブリックとは何かということをルーブリックの例を見ながら説明したいと思います。その前に、まずはルーブリックの定義を。

At its most basic, a rubric is a scoring tool that lays out the specific expectations for an assignment. Rubrics divide an assignment into its component parts and provide a detailed description of what constitutes acceptable or unacceptable levels of performance for each of those parts. (Stevens & Levi, 2013, p.3)

基本的に、ルーブリックというのは、ある課題(への取り組み)に対する具体的な期待値を記載した採点のためのツールである。ルーブリック上には、その課題を構成する要素が分類されて書かれており、各要素につき、どの程度の取り組みなら十分でどの程度の取り組みだと不十分とされるのかが詳細に記載されている。(訳:私)

 

なるほど。では、最初は日常的な例で考えてみます。私事ですが今カナダで2度目の冬を迎えているところなのでそれにちなんで…(なんのことやら)

 

課題例:カナダで冬を無事に越すためのウィンターブーツを選ぶ

 

4ポイント・ルーブリックから始めてみます。

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縦軸に「課題を構成する要素」があり、横軸に「取り組みのレベル」があります。私が生徒である場合、先生から(何の先生なのか想像もつきませんが)このルーブリックを最初に渡されます。そして、私はこの基準を満たすか超えるかするためにブーツを選びます。そして、私が選んだブーツを先生のところにもっていくと、先生はこのルーブリックの該当箇所に〇をつけるなりマーカーで線を引くなりして、私の取り組みを評価します。基準を満たしていない場合には、ルーブリックを見れば「なるほど、暖かさが足りないのか」などと改善すべき箇所が見ればわかるようになっています。その評価を受けた後で、私は返品+やり直しをするかもしれませんね。

 

ただ、これ「1」が本当に必要なのかという疑問があって、というのも、ルーブリックをもらって「よし、この基準を満たすぞ」と意識して課題に取り組んでいる以上、「1」に該当するような取り組みが出てくることは少ないからです。しかも、実際には、先生は生徒の取り組みが改善していくように要所要所で手助けをしているはずなので、それで「1」という状態は自然と稀になります。そこで、3ポイント・ルーブリックです。

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すっきりしましたね。もっとすっきりさせたいですか?シングル・ポイント・ルーブリックというのがあります。

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これだと、チェックリストのように「OK」「NG」をチェックした後に、フィードバック欄に詳細を書き込むことになります。特に「NG」とチェックした後には、何をどうすれば「OK」になるのかを書くことが必須です。生徒の学びの改善につながらない評価には評価の意味がないので。このルーブリックだと取り組みを数値化していないのですが、もし数値化したければ以下のようにできます。

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ルーブリックは、究極的には、「生徒の学び」と「先生の指導」に役立っていればいいので、上記の4つをアレンジしながら別のバージョンを作ることができます。

 

では、これを実際の指導の例に当てはめるとどういうふうになるでしょうか?そして、この4種類の中だったら、どれが一番使いやすいでしょうか?シングル・ポイント・ルーブリック+スコアの形式で英語のパラグラフ・ライティングのためのルーブリックを作ってみました。こんな感じです。

 

課題例:英語のパラグラフ・ライティング

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で、ここから遡っていけば3ポイント、4ポイントのバージョンができます…と言いたいところですが、私は4ポイントは作れませんでした。というのは、課題がシンプルなので、4段階分も取り組みの差が想定できないからです。特に、先生が課題の途中で生徒をサポートすると考えると、「未提出」とか「1文しか書いていない」のような「基準から大きく離れている」状態はありえません(というかあってはいけません)。

 

で、実は3ポイントもうまく作れませんでした。これの理由は、「生徒が基準を上回る」場合でも「下回る」場合でも、いろいろな状況が考えられるからです。もちろんそれらすべてを想定してルーブリックに記載する必要はなく、あくまで「よくある基準の上回り方」「よくある基準の下回り方」だけを記載すれば十分です。それでも、かなり文章が多いルーブリックになってしまい、そうすると「生徒がルーブリックを読まない問題」が懸念されてくるのです。ルーブリックの研究でも「生徒はルーブリックを熟読しない」という結果がよく報告されていて、それは私が今カナダで学生としてルーブリックを配布される側の経験をしてみても頷けるところです(ごめんなさい)。

 

また、今書いた通り、ルーブリック上にあるのは、基準を上回るにしても下回るにしても、あくまで「よくある取り組み状況の例」なので、実際に生徒を評価する際にその生徒の取り組みを表す的確な表記がルーブリックの中に含まれていない場合というのはごく普通にあり得て、そうすると結局先生はフィードバックを手書きで書き込むことになるわけです。4ポイントも3ポイントもその作成にそれなりの時間がかかりますが、それが結局使えずコメントを書き込むことになるという労力の無駄使いが発生してしまいます。

 

そんなわけで、最近はシングル・ポイント・ルーブリックに注目が集まっています。私の大好きなCult of Pedagogyのこちらのブログ記事でも紹介されています。(LOVE you and thank you, Cult of Pedagogy!!)

 

ルーブリック、私は日本では学習者としても教員としても一度も使ったことはありませんでした。表みたいな見た目のものでルーブリックと呼ばれるものがあると見聞きしたのが2013年頃で、でも、日頃の授業で使う評価ツールだとは全然知りませんでした。たぶん私が最初に見たルーブリックは、学校のパフォーマンス評価をするためのもので、内容が具体的なようでいて曖昧だったのでピンと来なかったのだと思います。

 

カナダの大学院に来てからは、全授業でルーブリックを使って評価が行われています。学期初めにシラバスが配布されるとそこに「各課題の詳細+各課題のルーブリック」のセットが記載されている感じです。

 

Huang & Gui (2014) も論文の中でこんなことを書いています。

The above review reveals a contrast between the dearth of research in mainland China and Taiwan and the popularity of investigation and applications of rubrics in western educational settings. (p.127) 

上記の先行研究のレビューでは、中国および台湾におけるルーブリックに関する研究の少なさと西洋の教育現場におけるルーブリックの研究と応用の多さの差が示された。(訳:私)

 

これは日本にも当てはまっているかと思います。私が勝手に思うのは、いわゆる西洋の教育は「アカウンタビリティー(説明責任)」を重視していることが多く、それがルーブリックの利用の背景にあるのでは、ということです。上場企業などと同じように、学校や先生は「何のために何をどんなふうにしてそれでどんな結果が出てそれをどう評価してどう次の活動につなげているか」を説明できなければいけないわけです。生徒や保護者にはもちろん、必要であれば地域や自治体に対しても。中国・台湾のことは全然わからないのですが、少なくとも日本の教育は、このアカウンタビリティーへの意識は学校によってかなりまちまちなのではという気がしています。

 

やー、ちょっとびっくりするくらい長くなってしまいました。でも次回もさらに続けてルーブリックについて何か書きたいと思います(しつこい)。それではまたその時まで。

 

Happy teaching, my friends!!

 

参考:

https://www.cultofpedagogy.com/single-point-rubric/

Huang, Y., & Gui, M. (2014). Articulating teachers’ expectations afore: Impact of rubrics on chinese EFL learners’ self-assessment and speaking ability. Journal of Education and Training Studies, 3(3), 126-132.

Stevens, D. D., & Levi, A. (2013). Introduction to Rubrics: An Assessment Tool to Save Grading Time, Convey Effective Feedback, and Promote Student Learning (2nd ed.). Sterling, Va: Stylus.

 

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