先生のためのアイディア帳

効果的な指導法やエトセトラについて

教員にとって「裁量権が大きい」が意味することとは?:長時間労働の原因をマネジメントの視点から考える

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こんにちは。

 

このブログは「効果的な指導法」に焦点を当てたものしようと決めているので、教員の働き方について書く予定は全然なかったのですが、ちょっと気持ちが向いたので今回はその辺りのことを書いてみます。

 

今回の主な参考文献はこちらです。

Wermke, W., & Höstfält, G. (2014). Contextualizing teacher autonomy in time and space: A model for comparing various forms of governing the teaching profession.

これは私にとってものすごくインパクトの大きい論文で、おそらく一生忘れないと思います。というのは、この論文が私に「教員に大きな裁量権が与えられているというのは教員にとって本当に良いことなのか?」ということをまったく新しい視点から考えさせてくれたからです。

 

たとえば、1年目のA先生に授業計画から定期テストの作成や成績算出までが任されているような状況は、その先生にとって「教員に大きな裁量権が与えられている」もしくは「自由度が高い」と言えると思います。実際にここまで極端な例はほとんどないと思いますが、これに近い話はあるかもしれません。

 

このような場合、「やあ~、A先生は自由にやらせてもらえるんだねえ!」という受け止め方が一般的かと思います。そして当のA先生自身もやりがいを感じて業務に専念しているのではないでしょうか。

 

特に、文科省などが言っているように教員を専門職だとした場合、「大きな裁量権」というのは殊更に重要なものだとみなされる傾向があるように思います。たとえば、私のカナダでのクラスメートが「ある海外の学校で教え始めた時に、学期の初めに完成したパワーポイントを渡されてそのとおり授業をするようにと言われた」という話をしていてクラスがざわついたことがありましたが、これは「裁量権ほぼゼロ」な状態です。何も考える必要がないという意味では楽と言えば楽かもしれませんが、いつかどこかの時点で「私いらないんじゃ…?」くらいの感じにはなるかと思います。

 

私自身、かなり長く学校で勤めていた中で一度もこの「大きな裁量権」について疑問視したことはありませんでした。

 

そして学校を退職してついに(偶然)出会ったのがWermke & Höstfält (2014)の論文でした。私にとってとにかくインパクト大だったのは、彼らが「マネジメント」の視点から学校教育を分析していたことでした。「裁量権」をカテゴライズしながら、「ある種の裁量権が大きいことは教員を自由にするが、別のある種の裁量権が大きいことは教員の負担を増やすことにつながりやすい」という趣旨のことを、ヨーロッパ数か国の教育の現代史を振り返りながら掘り下げています。

 

ちなみに、著者2人は活動拠点がスウェーデンにあり、論文自体は「スウェーデンの公教育に対する建設的な批判」のように書かれています。

 

まず、2人は学校のマネジメントを以下のように2分しています。

  1. 「過程(プロセス)コントロール型」
  2. 「結果(プロダクト)コントロール型」

 

1は「結果はどうなっても構わないけれど、この過程(指導法)はきっちり踏んで下さい」、2は「過程(指導法)はどうなっても構わないけれど、結果はきっちり出して下さい」というマネジメント方法です。このエントリーでは日本に注目して考えようと思うのですが、どちらが日本の学校教育だと思われますか?私なら2だと答えます。

 

日本では、表面的には、各先生がノルマを追って何かしている学校は多数派ではないと思いますが、先生が期待されている結果を出せなかった場合に、たとえば「仕事が増える」というような形で結果的にペナルティーと同等のものが課されているような状況はいくつでもあると思います。たとえば、

  • 担任しているクラスの生徒を全員進級・進学させられなかった場合
  • 受験学年が例年よりも良い結果を出せなかった場合

などでしょうか。

 

さて、この「結果コントロール型」の学校で「教員の裁量権が大きい」ということは何を意味するでしょうか。Wermke & Höstfält (2014)は丁寧に論じていますが、簡単に言うと以下のようになります。

  • 「目標とされる結果」に対しては、教員は相変わらず裁量権を持たない
  • 「目標とされる結果」が達成されたかどうかを測る方法についても、教員は相変わらず裁量権を持たない
  • 「目標を達成する過程」については大きな裁量権がある

 

著者はこのような裁量権をservice autonomyと、そして、ここでの教員をservice deliverersと呼んでいます。ありそうな結末は、教員が「サービス」をどんどん拡大していくことです。そうでないと、目標を達成できないので。(すでに力があって心身ともに健康な生徒を入学させてそのまま卒業させるのであれば話は別ですが、それができる学校は実はないのではないかと私は思っています。)

 

本の学校の先生は、管理職からはっきりそうとは言われていなくても、暗に「期待されている結果」があることを感じていて、そのために自分の「サービス」を拡大しているように思います。そして、管理職もそれを制限しようとしない。根本にあるのは、「生徒のためになることなら何でもしたい」という先生(管理職も含めて)の思いだと思います。それ自体は問題ではないのですが、これが結果として招く教員の「働き方」には大きな課題が潜んでいます。過労死ラインに届くような長時間労働や燃え尽きがその先に見えているので。

 

ここで注目したいのが、Wermke & Höstfält (2014)がフィンランドをservice autonomyの低い国に分類していることです。マネジメントに関して言うとフィンランドは「過程(プロセス)コントロール型」として分類されています。詳しく書かれていないのでこれは論文全体からの私の推測になりますが、「フィンランドでは『指導法』に関してはわりと統一化された指針があり、かつ、『教育目標やその達成を測定する方法』に関しては教員が比較的大きな裁量権を持っている」ということかと思います。(全然違ったらすみません!)

 

「教育と言えばフィンランド」のフィンランドが日本とは違ったマネジメント方法を取っているということは、知っていて損はないかと思います。ただ、フィンランドはそもそも日本や北米と同じ土俵にいない感じがかなりあるので、「フィンランド式~」からどこまで日本で実行可能なものを抽出できるかはまた別の話になりそうですね。

 

最近のメディアで報じられている「働き方改革」を見ていると、マネジメントのレベルでの取り組みと先生個人のレベルでの取り組みがあるだけでなく、「マネジメントのレベルでの取り組みに見えて結局は先生個人のレベルでの取り組みになっている取り組み」というのもありますね。私の希望としては、マネジメントのレベルでの取り組みがもっともっと進んでほしいところです。

 

それでは、次回はまた何か指導に関することに戻ろうと思います。それではまたその時まで。

 

Happy teaching, my friends!!

 

参考:

Wermke, W., & Höstfält, G. (2014). Contextualizing teacher autonomy in time and space: A model for comparing various forms of governing the teaching profession. Journal of Curriculum Studies, 46(1), 58-80.

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