先生のためのアイディア帳

効果的な指導法やエトセトラについて

「正解」の保護者対応とは

こんにちは。

今日は教員のウェルビーイングについて書いてみます。特に、私が教員のウェルビーイングのカギだと思っている「保護者との信頼関係」に焦点を当てて書いてみたいと思います。

 

なお、「ウェルビーイング(well-being)」の定義は以下の通りです。

OED:

the state of being healthy, happy, or prosperous; physical, psychological, or moral welfare

健康、幸せ、また順調である状態。身体的、心理的、道徳的に健康で幸せな状態。(訳:私)

 

教員が心身ともに幸せで健康に働くために絶対必要なもの。先生によって挙がるものの内容も数も違うと思います。私自身に関して挙げてみると、以下の4つです。

  1. 休養
  2. 教科指導力
  3. 尊敬できるボス
  4. 保護者との信頼関係

理由はこんな感じです。

  1. 休養:ないと心身がダメになり、何もかもうまくいかない。
  2. 教科指導力:私は授業を通じて生徒との人間関係を作るタイプの教員なので、教科指導で生徒に認めてもらえないと他の分野ではもうカバーできない。
  3. 尊敬できるボス:教職はどうやっても心身に過剰なストレスがかかるので、主任や教頭を見ながら「あんなにすごいあの先生ですらあんなに努力している! いわんや私をや!」と己を鼓舞しないことにはやっていけない。
  4. 保護者との信頼関係:ないと心身へのダメージが驚くほど大きいばかりか、日常の業務が著しく滞る。

毎度前置きが長くなりましたが、このエントリーでは「4. 保護者との信頼関係」がなぜ大切か、そしてそれをどうやって得るかについて、思っていることや実践していることを書いてみます。

 

保護者との信頼関係がなぜ大切か

教育現場においても何事にも「説明責任」が求められるようになってから、もうだいぶ経ちます。問題が起きれば、それを保護者と共有して、理解を仰いだり、解決のために協力したりする必要があるということです。教員にとって、保護者は教育活動を共に運営していく存在だと私はよく感じます。

一方で、教職を「聖職」と見る保護者はもういない今、保護者からの理解や協力は無条件に得られるものではありません。「あの先生の言うことには同意できない」「あの先生のやることには不信感を持たざるをえない」と保護者が話すのを聞くことも珍しくありません。

こんなふうに、保護者の中に教員への不信感があると、学校で「何か」(下記の1~5がほとんどでしょうか)があったときに、それへの対応が想像を絶するレベルで大変になります。

 

保護者ー教員間でやりとりが発生する場合のほとんどは、教員宛か管理職宛に、電話・来校・手紙などの形で、生徒(保護者にとっての子ども)に関する質問・相談・要望が伝えられるところから始まります。内容は以下の5つ辺りに大別されるでしょうか。

  1. 生徒同士の人間関係について
  2. 生徒・教員間の人間関係について
  3. 生活指導について
  4. 部活動指導について
  5. 教科指導・成績について

これらについての質問・相談・要望を受けると、教員はだいたい次の手順で対応していきます。

  1. 然るべき部署の主任や管理職とその内容を共有し、対応を相談する。
  2. その件に関連する他の教員と情報共有をする。
  3. 生徒本人に話を聞く。
  4. 必要があれば、その件に関連する他の生徒にも話を聞く。
  5. 当該保護者に連絡をする。
  6. 必要があれば、来校してもらい、会って話す。
  7. その後も、必要な連絡を継続する。

 

この対応の基礎になるのが「保護者の教員への信頼」です。この件にあたっている教員に対して保護者が不信感をもっていれば、上記の手順はいくらでも難航します。なぜなら、この件の構図は「保護者=子どものために問題を解決しようする人」「教員や学校=その問題の原因(の一端)」だからです。

 

もしも私が教員を信頼していない保護者であれば、自分の子どもに何かあったときに教員に相談するのもそもそも嫌です。「どうせうちの子に非があったことにして、問題の解決のために何をするわけでもないのだろう」とか「どうせ自分や学校に都合のいいように話を進めて、問題そのものはうやむやにするのだろう」と思うでしょうから。「コイツ(教員)が諸悪の根源なのに、コイツ本人しか窓口がないのか…」とか「これで私も今日からモンスターペアレント扱いか…」とか、他にもいろいろ考えると思います。

 

根本のところでこういう気持ちがあれば、保護者ー教員間のやりとりはこじれやすくなり、問題解決に向かいづらくなります。むしろとことんこじれて最終的に学校が訴えられるというところまで行きつくこともあります。(事実、訴訟保険に入っている先生も多いです。)

 

逆に、保護者が教員を信頼していれば、お互いが率直に話をして、適切かつ迅速に問題を解決することができます。

 

保護者との信頼関係をどう築くか

保護者の本音を聞き出す。

これにつきます。たぶんこれは多くの先生にとっては答えではないと思うのですが、私にとっては、これが保護者との信頼関係を築くための正攻法です。

 

保護者から質問・相談・要望が来るというのは、教員にとっても怖いものです。ふだん「これで大丈夫」だと判断して行っていた実践の中で、実は生徒が問題を抱えているのだと気づかされるわけですから、教員としての自信喪失につながることもあるでしょうし、対応のために時間と体力を費やすことにもなります。

 

ですが一方で、保護者にとっても怖いと思うんです、学校に何かを申し出るというのは。わからないことだらけなはずですから。家庭で対応すべき問題と学校が対応すべき問題の違いは何か。問題がどれくらい深刻だったら学校に伝えていいのか。その問題についてどこまで話していいのか。

大人は「自分の問題は自分で解決するもの」という世界で生きています。なので、自分が抱えている問題(自分の子どものこと)について他人に話すこと自体が、すごく特別で覚悟の要ることだと思うんです。

 

保護者側のこういう「学校に言っても大丈夫かな?」という不安が強いままで話を進めていくと、問題の一部についてしか話をしてもらうことができなくなって、問題の解決を大幅に遅らせることにつながってしまいます。

 

小学校の頃からの人間関係、発達に関係する行動の傾向、家庭での過ごし方、保護者の仕事の忙しさ… 生徒にまつわるこういったいろいろな事柄を安心して話してもらう中で、保護者にとっても教員にとっても「問題の核心」が浮かび上がってくると、私は思っています。

 

やりとりの中で気を付けていること

保護者側の「学校に言っても大丈夫かな?」という不安を取り除くために私が気を付けているのは次の4つです。

  1. 連絡はマメに行う。
  2. 事実を隠さず伝える。
  3. 自分に非があったら素直に認め、謝る。
  4. 共感を言葉にしながら相づちを打つ。

理由は以下の通りです。

  1. その保護者の意見や考えが、学校側にとっても大切だと伝えられるから。
  2. 嘘は不信感しか生まないから。
  3. こちらが自己防衛モードに入ると、相手も自己防衛モードに入ってしまうから。
  4. 上辺でなく「本当に共感しています」ということをわかってほしいから。

 

もう少し細かく書いてみます。

 

「1. 連絡はマメに行う。」

自分の子どもに関する問題や指導について、「誰よりも早く・詳しく自分が知っていたい」「学校の考えだけでなく、自分の考えも聞いてから話を進めてほしい」と保護者が思うのは当たり前のことです。

何かが起きて、それが落ち着くまでは、毎日少しずつでも状況に変化があります。「家で子どもから聞いてもらえればいい」と思わず、教員からも連絡をすることで、教員が保護者に対して「学校での教育活動を進めていく上で、保護者であるあなたの存在の重要さを十分認識しています」というメッセージを送ることができます。

「あちらから連絡が来る前にこちらから連絡!」と思ってやっていれば間違いない、というのが個人的な手ごたえです。

 

「2. 事実を隠さずに伝える。」

学校で起きることには複数の人間が関わっています。嘘はバレます。学校側・教員側に不都合なことがあっても、それを隠し通すことはできません。事実を隠そうとしてあとで発覚した場合、そこで生まれた学校・教員に対する不信感というのはもうどうやっても消せないものかと思います。

 

「3. 素直に非を認め、謝る。」

私はこれがやりとりの中でカギになるのをよく感じます。私が素直に非を認め、謝った途端に保護者の声のトーンが変わって、「いえ、うちの子も良くないんですよね…」などと、さっきまでは共有してもらえていなかった「問題の新しい一面」を共有してもらえることが本当に多いです。

ちなみに、保護者が上記のように譲歩してくれた場合、私はそれに乗らないように気を付けています。「それもあるかもしれませんが、だからAさんが嫌な思いをしていいということにはなりませんよね。」「私の接し方に、Aさんに対して不公平だった部分があったことには変わりありません。本当に申し訳なかったです。」などと、あくまで自分側の問題から話を逸らさないようにします。相手に率直であってほしいので、まず自分が率直であろうと努めます。

これは、「私も悪かったから、あなたも悪かったことを認めてください」というのとは違って、単に、私からの「腹を割って話しましょう」というジェスチャーです。もちろん、こちらに非がなければ何を認めることも謝ることもないのですが、残念ながら私自身はつつかれると痛い部分ばかりな人間なので、「ああ、あれがダメだったかー、ごめんなさい!」ということが多いんですよね。「率直に話す」となると「素直に自分側の非を認めて、謝る」ことが自然と含まれてしまうという。とほほ。

ただ、人と人とはお互いに映し鏡のようになってコミュニケーションをとるものなのだからかどうなのか、私が「やー、ほんとすみません…」と出ると、相手も「やー、それはもうお互いさまで…」と来てくれることがほとんどです。理解ある保護者に恵まれていると言えばそれまでですが。

 

「4. 共感を言葉にしながら相づちを打つ。」

「そうでしたか、それは悔しかったですね。」「そうでしたか、それはずいぶん長い間いつも気になって学校にいるのも苦しかったですね。」などと、相づちはやや長めに言葉にして伝えます。そうすることで、「そうなんです。だから…」というふうに返ってくることもあれば、「いや、苦しいというよりはあきらめているというか…」というふうに返ってくることもありますが、いずれにしても、保護者や生徒が本当に思っていること・感じていることをより正確に把握できるヒントをどんどん出してもらえることにつながります。

やりとりが進む中で、「2.」「3.」も適宜入れてできるだけたくさんのヒントをもらえるようにしていくと、問題の全体像がどんどん見えてきて、解決に近づいていくことができます。

 

保護者の気持ちとしては、自分の困り感をしっかり受け止めてもらえて、つらかったことに対して謝ってもらえたら、それだけで、その相手の教員は「話しても大丈夫な人」になっていると思います。そしてさらに、その教員が問題解決のために適切に動くことができれば、今まで「不安感」だった気持ちが「信頼感」へと変化していくのだろうと思います。

 

保護者との信頼関係を築くために平時からできること

生徒とのやりとりを細心の注意をもって行う。これです。

 

保護者の教員に対する印象を決めるものの一つに、「自分の子どもから聞く言葉」があります。この影響力は大きい。「〇〇先生が好き」「〇〇先生の言うことは信頼できる」「〇〇先生のおかげで学校が楽しい」「〇〇先生の授業はわかる」と、日常的に自分の子どもから聞いていると、保護者の教員に対する印象は、当たり前ですが、よくなります。

 

特に、中学生にもなると感性が成熟してくるので、「若くて元気があるから好き」とか「優しくて怒らないから好き」とかいったことではなく、「センシティブな話題も配慮して適切に扱ってくれるから安心できる」とか「ここぞというときには厳しく注意してくれるから頑張れる」とか、教員側の意図をしっかり汲み取って教員を評価している生徒も増えてきます。そして、そういったことまで1から10までしっかり親に話している生徒も少なくありません。

 

自分の一挙手一投足がすべて生徒の口から保護者に伝えられると思って、丁寧な言動を心掛ける。授業中、休み時間、放課後、すべての時間において、これを心掛ける。たいへんなように思えますが、続けているうちにこうすることが当たり前になってきて、それによって生徒との関係も落ち着いた良いものになってくるのがわかります。

 

 

生徒の問題に関しては、保護者も教員も完璧な解決方法を見つけられないことの方が多いと思います。なので、その時々の最善解を模索しながらやっていく、というのが現実的です。その場合、保護者と教員が信頼関係を基にコミュニケーションを続けていくことが必要になります。

 

保護者との関係が円滑なときは、生徒との関係に割くことのできる時間と心の余裕が増えます。先生方のウェルビーイングを願いつつ、Happy teaching, my friends!!

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