先生のためのアイディア帳

効果的な指導法やエトセトラについて

公立学校という社会インフラ

特別お題「わたしの2022年

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年初ですが、2022年のふり返りから。

公立中学校の教員になって3年目。やっと得心したことがありました。この職業が社会インフラの一部なのだということです。(遅)

 

公立小中学校のもつ社会インフラ的側面というと、以前の私だったら、公教育のもつ隠れたカリキュラム(Hidden Curriculum)を思い浮かべたと思います。義務教育が日本人の物の見方や考え方に与える影響は大きい。その意味で、公立小中学校は既存の社会の維持に貢献している、つまり、社会インフラを担う一部となっている、と。 これが事実であることは間違いないのですが、私が3年かかってわかったのは、これとは別のレベルで、もっとダイレクトに、公立学校が社会インフラの一部なのだということでした。そして、私自身が「地方公務員」なのだということでした。

 

公立学校は、文部科学省都道府県教育委員会、市区町村教育委員会の意志決定の下に運営されています。そして、その運営には、地域のボランティア、社会福祉士、警察署の少年係など、様々な人たちが関わっています。私が3年間で見てきた限りでは、この「学校運営」というのは主に「学習環境の整備」を意味します。生徒一人ひとりがよりよく学べるための環境を整える。このために、国や自治体や公共サービスや地域ボランティアが働いています。そして、公立学校の教諭にとってもまた、この「学習環境の整備」が仕事の一部であったり大半であったりします。

 

学習環境の整備。それは、机やイスや学習用デバイスを用意することから、学級運営、いじめ防止対策、生活指導、進路指導、保護者との面談や必要な機関と家庭との橋渡し、はたまたICT環境の整備や感染症対策まで、微に入り細に入り多岐に渡ります。こうして「安心」「安全」「快適」が確保されたとき、生徒たちは学習に集中して取り組むことができます。

 

この「学習環境の整備」に関わる業務について、これまでの私はこんなふうに考えていました。教員は皆、そもそも、「教科指導のプロ」として教員免許を取得している。なので、それ以外の分野においては「経験と感覚(と研修)を頼りに判断・実践しているアマチュア」に過ぎない。必然的に、「教科指導」「学習環境の整備」を天秤にかけた場合、比重が置かれるべきは「教科指導」である。

 

でも今なら、これは近視眼的な考えだとわかります。なぜなら、よい「教科指導」の実践のためには、よい「学習環境」があるに越したことはないからです。好むと好まざるとにかかわらず、教員である以上、「学習環境の整備」においてもプロでなければならない。こう腹を括って公立学校の教員を見直したとき、その「地方公務員」という正式の肩書が、「教員」という職業名よりも、自分の仕事を如実に表したものとして感じられてきます。税金を使って、市民である子どもたちの「安心」「安全」「快適」を確保する。これはもう、学習環境の整備を超える、社会インフラの整備であって、「地方公務員」の仕事だろうと。

 

こう結論することに、もちろん、抵抗は感じます。働き方改革周りの取り組みを無視した昭和世代の論調のようで、自分でも残念です。

 

ただ、私には譲れないものがあって、それは、「いい授業をしたい」という気持ちです。いい! 授業を! したい! これは譲れない。でも、この気持ちを譲らない限り、学習環境の整備に含まれる業務を私はやらざるを得ない。だから、実際にやります。また、多くの先生たちも同じようにやっているのだと思います。

 

公立中学校の教室は文字通りインクルーシブな空間です。多様な生徒たちが多様なバックグラウンドを背負ってそこにいます。そして、その多様な生徒たちの多様さが教育活動の中で財産として活かされるとき、公教育の意義が発揮されると私は感じています。だからこそ、多様な生徒たち一人ひとりに「安心」「安全」「快適」な環境を得て、輝いてほしい。

 

理想をいえば、教育につく予算が上がり、然るべき業務に然るべき人材が当てられ、その人たちに「学習環境の整備」をしてほしい。でも、上がらないじゃないですか、予算。来ないじゃないですか、人材。だからって、変な授業はできないんですよ。こっちは。

 

そんなわけで。まずは今年度あと3か月、この気づきを胸に、自分の置かれた状況を少し捉えなおして、働きたいと思います。皮肉でなく、何より自分の教育への情熱を大切にするためにも、「学習環境の整備」を効果的・効率的に行う方法を学んでいきます。

 

Happy teaching, my friends!!

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