先生のためのアイディア帳

効果的な指導法やエトセトラについて

「日本は『学校英語』にどこまで期待していいのか問題」について

こんにちは。

 

昨今の教員の労働環境/長時間労働に関する議論を見ながら「ここまでが学校の先生がやる仕事」と線を引くことができたら、そして、その線を守るための(学校・家庭・地域を巻き込んだ)仕組みができたら…と思っている最中に「日本の学校での英語教育」に関する論文を読んでいたところ「『ここまでが学校英語が教えること』と線を引くとしたらどうなるか」という疑問が浮かんできたので、今回はそれについて書いてみます。

 

ちなみに、タイトルで「日本は」としたのは、このエントリーでは文科省がどう言っているかに注目しながらその「線」について書こうと思っているからです。

 

ある人がどれくらい「学校英語」に期待するかは完全に個人の自由で、保護者が「うちの子には留学しても困らない程度の英語を」と思ったり、社会に出てから英語を使う必要に迫られた人が「ネイティブの会話が聞き取れるくらいになっておきたかった」と思ったりするのは別にあっていいことです。それでも、今回文科省がどう言っているかに注目することにしたのは、そういう個人の「学校英語、こうであってくれよ」という声がよく聞こえてくる一方で、日本という国が「学校英語」が目指すべき到達目標をどう設定しているかがはほとんど話題にのぼってこないような気がしたからです。日本で学校に通う生徒はそもそも学校英語にどこまで期待していいのか?それを学習指導要領を見ながら考えてみたいと思います。

 

本題に入る前に、「日本の学校での英語教育」に関する英語で書かれた論文がどんな感じかについて少し触れておくと、とは言っても私が読んだのは10数本だけですが、ほとんどが以下のことに触れていました。(論文は先行研究を踏まえて書かれるのがルールなので、同じ分野の論文で内容がけっこう重複していることはふつうにあります。)いずれの論文も小・中・高・大のどれかもしくは複数をカバーしていたので、以下の「課題の提示」の中の「学校教育」というのは文字通り「学校での教育一般」を指します。

 

課題の提示:日本の学校での英語教育は英語でのコミュニケーション能力を育てることに成功していない

理由の考察

【歴史】明治時代、英語学習の最大の目的はコミュニケーションではなく「情報収集」だった。その当時用いられていた指導法(文法+訳読)が今でも色濃く残っている。

【政府】近年、学習指導要領ではコミュニカティブな指導を推進しているが、学校現場に浸透させられていない。

【入試】センター試験に対応しようとするとコミュニカティブな指導が後回しになる。

【養成】第二次世界大戦後、教員不足を解消するために多くの大学に教員養成課程を置いたことで、教員の質を保証することが難しくなった。

【教員】英語力不足。指導力不足

 

いろいろ突き刺さってきますね。(教員養成については考えていることがたくさんあるのでまた後日。)

 

さて、ここからが本題です。

 

多くの論文で(、そしてその他のいたるところででも)課題山積みとされている「日本の学校での英語教育」。では、生徒がどんなパフォーマンスをどこでまで達成できたら「成功」しているとみなされるのでしょうか。ここでは、義務教育で区切って、中学校までで考えてみます。中学校卒業時に英検3級合格、というのがよく見かける目安かもしれません。が、先にも述べた通りこのエントリーでは文科省がどう言っているかに注目したいと思います。

 

以下、『中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 外国語編』からの抜粋です。

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「外国語の目標」はこんな感じです。

外国語教育の特質に応じた、生徒が物事を捉え、思考する「外国語によるコミュニケーションにおける見方・考え方」を働かせ、外国語による「聞くこと」、「読むこと」、「話すこと」及び「書くこと」の言語活動を通して簡単な情報や考えなどを理解したり表現したり伝え合ったりするコミュニケーションを図るために必要な「知識及び技能」、「思考力、判断力、表現力等」、「学びに向かう力、人間性等」の資質・能力を更に育成する(p.6)

前半は「言語活動」に必要な知識や能力について、後半はその言語を活用した「コミュニケーション」に必要な能力について、という感じですね。ただ、この「外国語の目標」と卒業間近の中3生を並べて「う~ん、できてるかな~、どうかな~」と評価しようとしてもできないので、より具体的な文言を見てみます。

 

以下が、第2節1の「英語の目標」です。(p.17~)

 (I)聞くこと

  1. はっきりと話されれば、日常的な話題について、必要な情報を聞き取ることができるようにする。
  2. はっきりと話されれば、日常的な話題について、話の概要を捉えることができるようにする。
  3. はっきりと話されれば、社会的な話題について、短い説明の要点を捉えることができるようにする。

 

(II)読むこと

  1. 日常的な話題について、簡単な語句や文で書かれたものから必要な情報を読み取ることができるようにする。
  2. 日常的な話題について、簡単な語句や文で書かれた短い文章の概要を捉えることができるようにする
  3. 社会的な話題について、簡単な語句や文で書かれた短い文章の要点を捉えることができるようにする。

 

(III)話すこと[やり取り]

  1. 関心のある事柄について、簡単な語句や文を用いて即興で伝え合うことができるようにする。
  2. 日常的な話題について、事実や自分の考え、気持ちなどを整理し、簡単な語句や文を用いて伝えたり、相手からの質問に答えたりすることができるようにする。
  3. 社会的な話題に関して聞いたり読んだりしたことについて、考えたことや感じたこと、その理由などを、簡単な語句や文を用いて述べ合うことができるようにする。

 

(IV)話すこと[発表]

  1. 関心のある事柄について、簡単な語句や文を用いて即興で話すことができるようにする。
  2. 日常的な話題について、事実や自分の考え、気持ちなどを整理し、簡単な語句や文を用いてまとまりのある内容を話すことができるようにする。
  3. 社会的な話題に関して聞いたり読んだりしたことについて、考えたことや感じたこと、その理由などを、簡単な語句や文を用いて話すことができるようにする。

 

(V)書くこと

  1. 関心のある事柄について、簡単な語句や文を用いて正確に書くことができるようにする。
  2. 日常的な話題について、事実や自分の考え、気持ちなどを整理し、簡単な語句や文を用いてまとまりのある文章を書くことができるようにする。
  3. 社会的な話題に関して聞いたり読んだりしたことについて、考えたことや感じたこと、その理由などを、簡単な語句や文を用いて書くことができるようにする。

*箇条書き設定でアイウという選択肢がなかったため、123にしています。

具体的な評価基準ファンの私にとっては、これは見ていてニコニコしてしまうCan-doリストです。というのも、Can-doリスト自体は「目標」なのですが、その「目標」が明確になっているおかげで、ではその「目標」が達成されたかをどう「評価」するのか、そしてその「評価」において生徒が満足な結果を出すためにはどんな「学習活動」が必要になるのか、とバックワード・デザインが描けるのがわかるからです。

 

たとえば、「(I)聞くこと」の「1. はっきりと話されれば、日常的な話題について、必要な情報を聞き取ることができるようにする。」を見てみます。実際の指導では、「正しい発音で英語を理解できるように。スピードにはまだこだわらない」、「背景知識がある話題を扱う。日本語でもわからないような話題は特に触れない」、「必要な情報を聞き取ることに集中。意味内容に支障が出ない部分は聞けなくてもよい」などと、指導の焦点を絞って、目標を一直線に目指していくような授業が毎回できそうです。

 

これを、「1」の各項目は中1、「2」の各項目は中2、「3」の各項目は中3、とするだけで、カリキュラムの大枠ができると思います。あえて「1」「2」「3」をごちゃまぜにしたカリキュラム(例:イマージョン)ももちろんできますが、習熟度が多様な大人数のクラスでそのカリキュラムで指導した場合(言い換えると、ゆるく体系化された指導をした場合)、すでにできる生徒がもっとできるようになり、ゆっくりな生徒がさらに後れをとることになるということも、研究では言われています(Clark et al., 2012)。

 

と、話が指導方面に逸れましたが、たとえば、上記のCan-doリストの「3」の各項目を「中学卒業時に到達したい目標」と考えて、それが達成されていれば「学校英語は成功」と言っていいことにするのは、どうでしょうか?(誰にともなく問いかけてみました。)

 

私はこの「3」の各項目は「学校英語の成功」を表す「線」として見ていいし、そうすべきだと思います。たいした理由はないのですが(すみません)、有識者が知恵を寄せ合って出した現段階でのベストな案のように見えますし、私自身一英語学習者としても、中3生を指導してきた教員としても、今大学院で教育学を学んでいる学生としても、特に文句のつけどころがないからです。少し強めに「そうすべき」と書いたのは、私が具体的な評価基準ファンだからというだけの理由です。(すみません。)

 

というか、公立の先生であれば、「文科省が言っているから」という理由で自動的にこれが正式な「線」として認識されていますよね、きっと。そんなこともありませんか?(まだ公立校で働いたことがないので、全然わかっていなくてすみません。というかいろいろすみません、本当に。)

 

高校入試に関係なく、本当に「3」の各項目を「中学卒業時に到達したい目標」と設定してまっしぐらに英語指導ができたら、相当面白いだろうと思うのですが、それは今はまだ夢の世界の話ということで横に置いておきます。

 

ただ、高校入試がこの「3」の各項目の到達を評価する内容に全然なっていなくて、高校入試は高校入試のためにそれ用の勉強をしなければならないのが実情なのだとしたら、それは横に置いておけない話で、というのは、それのせいですべての項目がサクッと入試項目に置き換えられてしまうことにつながりかねないからです。英語の入試は今のところ筆記なので、そうなるとまずIII、IVは消えてしまうでしょう。これは多くの論文が指摘するのを待つまでもなく、日本人にとってはもはや「学校英語あるある」とも呼べる課題です。

 

長くなりすぎて何を言いたいのかわからなくなってきたので、この辺りで終わりにしたいと思います。そんなわけで、今回は「日本で学校に通う生徒はそもそも学校英語にどこまで期待していいのか?」を学習指導要領を見ながら考えてみました。先生たちに「おっ」と思っていただけるようなことがあったらよいのですが、なんせ学習指導要領を紹介しただけなので、ないかもしれませんね。

 

次回はもう少しきちんとしたことが書けるように心がけます!それではまたその時まで。

 

Happy teaching, my friends!!

 

参考:

『中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 外国語編』http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2018/05/07/1387018_10_1.pdf

Benthien, G. (2017). The transition from L2 learner to L2 teacher: A longitudinal study of a japanese teacher of english in japan. Apples – Journal of Applied Language Studies, 11(2), 85-102.

Clark, R. E., Kirschner, P. A., & Sweller, J. (2012). Putting students on the path to learning: The case for fully guided instruction. American Educator, 36(1), 6-11.

Hosoki, Y. (2011). English Language Education in Japan: Transitions and Challenges. Retrieved February 6, 2019, from http://www.academia.edu/24913482/English_Language_Education_in_Japan_Transitions_and_Challenges_1

Steele, D., & Zhang, R. (2016). Enhancement of teacher training: Key to improvement of english education in japan. Procedia - Social and Behavioral Sciences, 217, 16-25.

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