東京都を離れ、地方の公立中学校で働き始めてから一年が経とうとしています。「子どもはどこへ行っても同じ」と感じる一方で、「東京の子と地方の子は違うのかもしれない」と思うこともあり、これは私にとっては一つの発見でした。
実際に、子ども一人ひとりには、どこへ行ってもそれほど違いがあるとは思いません。ですが、子どもたちが集団になると、傾向のようなものが現れてきます。
今年度一年間、地方の公立中学校の生徒たちを見ていて私にとって新鮮だったのは、彼らがもっている「落ち着き」でした。気に障ることがあっても取り乱さない。困ったことがあっても取り乱さない。うまくいかないことがあっても取り乱さない。少し取り乱しそうになってもすぐに落ち着きを取り戻す。
「東京の子はませていて、地方の子は素朴」といった単純なステレオタイプでは説明しきれない、現任校の子たちのこの「落ち着き」。
なぜこうなのかはよくわかりません。物事が思い通りにいかないことに慣れているのか、周りの人への期待値が低いのか。家庭教育と小学校までの教育の中で、何らかの価値観と経験が育まれてきたのか。
なお、保護者と生徒の傾向として私が見取っているのは以下ようなことです。
共通点
- 共働きの家庭が多い。
- 父母が等しく教育活動に関わっている家庭が一定数ある。
- 地域の横のつながりがあり、父母間での情報交換がさかん。
- 兄弟姉妹の数が多い。
- 不登校生徒・教室に入れない生徒は1クラスに2~3名いる。
- 部活動・クラブチームへの参加率は90%ほど。
- 塾や家庭教師を利用する率は受験期に向けて上がり、最終的にはほぼ100%になる。
- 子どものスマートフォン・インターネット・SNS利用率は同程度。
相違点
【東京】
- 保護者が大卒の場合が多い。
- 高校は進学校を受験し、四年制大学を目指す場合が多い。
- 引き取り訓練(避難訓練)には半数ほどの保護者は来ない。
- 授業参観には半数ほどの保護者は来ない。
- 地域の催しが生活の中心になっていない場合が多い。
- メディアの世界と現実の世界が近い。(「行こうと思えば毎週末原宿に行ける」という意味で)
- ADHD(注意欠如・多動症)的な言動をする生徒の割合が高い。
【地方】
- 保護者が大卒でない場合も多い。
- 高校卒業後、地元での就職を検討している場合も多い。
- 引き取り訓練(避難訓練)にほぼ全員保護者が来る。
- 授業参観にほぼ全員保護者が来る。
- 地域の催しが生活の重要な部分を占めている場合がある。
- メディアの世界と現実の世界に距離がある。
こうしてまとめようとしてみて自分でも初めて気づきましたが、相違点の【東京】の7番目、「ADHD(注意欠如・多動症)的な言動をする生徒の割合が高い」は、私がいた東京の中学校の子どもたちの特徴の一つでした。
実際、これは教室での子どもたちの言動にとても大きな影響を与えます。集団行動をする子どもたちを思い浮かべればすぐわかるように、子どもたちの言動は伝染します。一人が大きな声を出せば、続いて大きな声を出す子が出てくる。一人が立ち歩き始めれば、他の子も立ち歩くようになる。
ですが、逆に、「ADHD的な言動をする生徒」の数が少数でありさえすれば、他の子どもたちはそれほど影響を受けることがなく、むしろ、「ADHD的な言動をする生徒」たちが、「落ち着いた生徒」たちに引っ張られる形で、落ち着いてきます。
現任校はまさにこのよい例で、大多数の落ち着いた生徒たちがその他の生徒たちのADHD的な言動を抑制しています。そして、ADHD的な言動というのは、成長につれて自然に収まっていくので、高校に上がるころにはさらにいっそう集団としての落ち着きが高まっていくはずです。
ADHDは脳の発達に関わる症状で、後天的な環境や教育が原因ではなく、また、医療によって対処するものです。ですが、「ADHD的な言動」というのは、後天的な環境や教育によって助長されたり抑制されたりするのだろうと、子どもたちを見ていて思います。
そういう意味で、受験のストレスやメディアの刺激にさらされる機会の多い東京では、集団としての子どもたちの言動が「ADHD的」になりやすいのではないかと想像します。
とは言え、東京の前任校が極めて例外的な中学校だったのかもしれません。もっと経験を積んでいく中で、結局「子どもはどこへ行っても同じ」という雑感に戻っている気もします。そんなわけで、本日は長い独り言でした。
Happy teaching, my friends!!