先生のためのアイディア帳

効果的な指導法やエトセトラについて

コンピテンシーを育成する指導:「生徒の学びを促進する評価」のすばらしい例(2)

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こんにちは。

 

昨日Education WeekのTesting For Real-World Performance(Real-World Performanceが意味するものが大きすぎるのですが、頑張って訳すと「実社会で活きるパフォーマンスを伸ばすための評価」といった感じでしょうか)というタイトルのウェビナー(無料!)に参加したので、今回はそこでのやりとりの一部とそこから考えたことを書いてみたいと思います。久しぶりに最初から最後まで「評価」についてです。

 

今回は「形成的評価」と「総括的評価」という言葉が繰り返しでてきますので、必要に応じて先に以下の2つのエントリーをチラ見していただくのもよいかもしれません。

  では、ここから本題です。

 

ウェビナーでは私は‟An On-the-Ground Perspective on Performance Assessment(パフォーマンス評価についての現実的な見解)”がテーマになっている部屋におりまして、次のような質問をしました。

Hello, everyone. Thanks for sharing your experience, thoughts, and questions.
I personally think assessment of "real-world performance" should look like on-going formative assessment, which may not be able to be represented well by the letter grade system. Any thoughts?

こんにちは。皆さんの経験や考えや疑問、とても勉強になります。さて、私は「実社会で活きるパフォーマンス」のための評価というのは、継続的に行われる形成的評価であるべきだと思っています。ですが、形成的評価は段階評価(5でも10でも。英語圏ではA~F)に換算することが不可能なような気がします。この点、いかがでしょうか?

 

*「段階評価=総括的評価」という意味合いで「段階評価」という言葉を使っています。

  「『形成的評価』を中心に指導をしたいけれど最終的には『総括的評価/段階評価』をしなければならない」というのは、北米の先生が抱えるジレンマあるあるNo.5までには確実にランクインしているだろうポピュラーな話題で、そのため、私の質問の意味が不明瞭なのにもかかわらず、ウェビナー参加者は一瞬で意図を汲み取って反応してくれました。

 

その中で超ビリビリしたのは(日本語がおかしい)、「形成的評価」を本当に「形成」のために利用している人(仮名:アン)に出会えたことでした。これだけだと意味不明なのでちょっと付け加えると、アンは「形成的評価」を換算して「総括的評価」を出すようなことはしていないと言うのです。これは私にとっては「理想的な学びを可能にする評価」の仕方に思えて、それで超ビリビリしたというわけです。

 

ウェビナーでの書き込みが著作権的にどう扱われるべきなのかがわからないので、書き込み自体をコピペするのは避けて、以下、アンとのやりとりをシェアしたいと思います。

 

アンは、19年間5か国の学校で、中2~高3を対象に、サイエンス(STEM)における64のコンピテンシー(多っ!)を育成するためのProject-Based Learning(「課題解決型学習」という訳になるでしょうか)を行い、そこで複数学年に渡る評価プログラムの研究をしてきたということでした。ちょっとスケールが大きすぎてあっけにとられますね…

 

その結果として彼女が得た気付きは、以下の2点だったそうです。

  1. 「総括的評価」は全体の指導の妨げになっている
  2. 「総括的評価」は「社会で役立つ本当の学び」のために必要な自由を奪っている

それでも、どの学校も最終的には「総括的評価」を必要としているので、それにあたる(たぶんA~Fの)段階評価を最近終えたところだ、とも教えてくれました。

 

そこで、私の次の質問がこれです。

Sounds fantastic, Ann! Could you share a bit more details about how formative assessment was conducted, recorded, and used? As well, about how the translations were carried out?

素晴らしいですね! 形成的評価がどんなふうに行われ、記録され、利用されたか、それから、総括的評価に換算されたか、もう少し詳しく教えてもらえませんか?

 

彼女の回答をまとめると以下のようになります。

  • 「形成的評価」は単に「全体の学習活動を分割して難易度を低くした活動」に対して「タイムリーに」行われる評価というわけではない。(「形成的評価」に関してはこの理解の仕方をしている人が多いが、それは定義として狭すぎる。)
  • 実際にコンピテンシーを育成するには、生徒は何回も繰り返し練習する必要がある。「分割して難易度を低くした活動」を練習するときに、その1回1回のパフォーマンスが「テスト」の結果のように扱われ、最終的に「総括的評価」に反映されるとしたら、それはおかしい。
  • 練習→フィードバック→練習という過程を何度も繰り返して、「分割して難易度を低くした活動」について自信とコンピテンシーが育成されたら、そこで初めて生徒を「分割されていない難易度の高いままの活動」に取り組ませる。
  • そこでも、生徒に、練習→フィードバック→練習という過程を踏ませる。生徒が十分に準備できたらそこでのパフォーマンスの評価を「総括的評価」とする。(これがA~Fか何かの段階評価に換算される。)

 

ここで私が一番「そうだよね!」と思ったのは、「形成的評価」と「総括的評価」を完全に別物として扱っているという点です。言い換えると、複数の「形成的評価」を換算して「総括的評価」の一部または全部にするというのは、「『生徒が目標とするコンピテンシーを獲得したか』を測るための評価」としては妥当ではないと言い切っている点です。

 

ちょっと用語が多すぎてわかりにくいと思うのですが、この指摘は実は直感的にも受け入れやすいものだと思います。

 

高校英語を例に考えてみます。

 

たとえば、高1の前期中間試験で仮定法に苦戦して40点を取った生徒が、その後仮定法がすっかりわかるようになり、ついでに他の学習内容もよく身に着いて、高1の後期期末試験では100点を取ったとします。この生徒の高1修了時の英語の成績を出すとき、全部の定期試験の結果を平均して、たとえば、「75点!」とするのは「総括的評価」として妥当でしょうか? そうではない、というのが上記の議論です。この生徒の「総括的評価」は100点になるべきだ、ということになります。

 

この考え方に対してネガティブな反応が出るとしたら、たぶん次の2点ではないでしょうか。

  1. 本の学校の定期試験は各回が別々の単元を扱っていることが多く、そうなると、前の試験でできなかったことを以降の試験で挽回するのは無理。
  2. この考え方に基づくと、「一発逆転ホームラン」が起こりうることになるが、心情的にそれに賛成しきれない。

 

ここからは私の推測になりますが、元の議論を引き受けると、この2つの意見に関してはそれぞれ、

  1. そもそもその試験がダメ。
  2. 「一発逆転ホームラン」、素晴らしい!

という答えが導かれるだろうと思います。

 

「一発逆転ホームラン」に関しては、実はこちらで受けた授業の教授(もっっっのすごく優秀な小学校教員/校長で、退職後は大学教授)が、「一発逆転ホームランができるように年間カリキュラムを組んでいる」と話していたのを聞いて、そういう方法が実際にあってもいいのだということを知っているせいか、私は前向きに「いいね!」と思えるのですが、知らなかったら、もしかしたら抵抗感を抱いていたかもしれません。

 

ある先生が「一発逆転ホームラン」に抵抗感を覚えるとしたら、それは生徒の「地道な努力」を評価したいという親心みたいなものの裏返しかもしれません。(「地道な努力」を生徒に感情的に押しつけているだけだったらマズイのですが。)でも、「指導の目標」が「コンピテンシーの育成」である場合、「コンピテンシーの獲得」が達成された時点でその生徒は自動的にAなり10なりの最高の評価を受けていないとおかしいんですよね。

 

もし「指導の目標」に「計画的に学習に取り組む姿勢の育成」が含まれていれば、話は少し変わってくると思いますが。

 

それからもう一つ。練習→フィードバック→練習という過程を踏みながら「形成的評価」を細かく行っていれば、先生は絶対に生徒のジワジワした成長を確認できているはずです。そうであれば、もしも試験の点数上で「一発逆転ホームラン」に見えるようなランダムな飛躍があったとしても、一番最近の試験がその生徒の実力を一番正確に反映しているのだと、先生が誰よりも確信できるはずです。つまりこの場合、「一発逆転ホームラン」に見えるものは、先生にガッツポーズをさせるものであって、「この生徒の学年末評定どうしよう…」と頭を抱えさせるようなものではないのだということになります。

 

ちなみに、アンのチームが「総括的評価」をどう行ってどんな結果を得たかまでは聞けなかったので勝手に予想すると、ルーブリックを用いたパフォーマンス評価(筆記試験が含まれたとしても、選択や穴埋めではない)で、結果は、A~Fの段階評価であれば、Aが25%、Bが45%、Cが15%、Dが10%、Fが5%くらいかと思います。各生徒の元々の能力にも取り組みにも家庭等の環境にも差があるので、いくら理論上完璧な指導をしたとしても、生徒全員がAになることはないかと。

 

そんなわけで、話がまとまりませんでしたが、今回は昨日のウェビナーを振り返りながら、「形成的評価」をとことんまで利用しきるとどんな指導が実現されうるのか、そして、その場合に「総括的評価」がどんなふうになりうるかについて(妄想を交えて)書いてみました。

 

定期試験を廃止する学校が話題になっている昨今、評価方法については意外に早く大きな変化の波が来るかもしれません。

 

それではまた次回まで。

 

Happy teaching, my friends!!

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