こんにちは。
今日は「アクティブ・ラーニング」「生徒主体の学び」「探究型学習」等々と呼ばれるものを実現するために必要なのは「生徒にすべてを任せること」ではない、ということを書きたいと思います。
やすてる先生のこちらのツイートを拝見して、
生徒に全投げして「アクティブラーニング」と言っている先生が結構いる事実にビビる。
— やすてる (@hisa_phone) February 23, 2019
それじゃ今以上に力のない生徒が育ってしまうと思うのだが……。
自分がこちらで勉強したことや読んだものを走馬灯のように思い出したので、その一部をシェアしつつ、ちょこちょこと私の考えも付け足してみます。
まずは、ツイッターでも触れたこちらをご紹介します。
この画像、ご存知ですか?探究型学習のタイプを表したイラストで、左端に「教員がリードするタイプ」があり、段階を経て右端の「生徒がリードするタイプ」があります。教員自身が「生徒のニーズ」をよく分析したうえで適切なタイプを選択する必要があることがわかります。ALもきっと同じですよね。 pic.twitter.com/DNow5Lk9Nw
— ednotes (@ednotes2) February 24, 2019
「アクティブ・ラーニング」「生徒主体の学び」「探究型学習」、どの用語も厳密に区別されずに使われている気がするので、どの用語で考えてもいいことにして話を進めますが、たとえば一口に「アクティブ・ラーニング」と言っても、その中身は多様で、少なくとも、このイラストにある4種類には分類して考えてみる必要があると思います。
一応、同じ画像をこちらにも貼り付けます。
【探究型学習のタイプ @trev_mackenzie】(無料ダウンロード可です。)
私の意訳で説明していくと、左から、
- 誘導型:教員がクラス全員に対して1つのテーマ(疑問)を選ぶ。教員が全工程をリードする。
- 制限付き:教員が複数のテーマ(疑問)とそれらの探究に必要となる複数の資料を選ぶ。各生徒はその中から自分のテーマ(疑問)と資料を選び、答えを探る。
- 導入付き:教員が複数のテーマ(疑問)を選ぶ。各生徒はその中から自分のテーマ(疑問)を選び、そして自分で資料を見つけて、答えを探る。
- フリー:テーマ選択、課題設定、資料選定のすべてを各生徒が主導して探究を行う。
topicsとtopics/questionsを同義とみなすかや、answer questionsとdesign solutionを同義とみなすかは、もうちょっと説明がないとはっきりしないのですが、ここではそこまで突っ込まないことにして、大事なところだけ確認しておきます。
大事なところ、それは、プールの深さと、生徒がどこで何をしているか、それから先生がどこで何をしているかです。(いきなりイラストの話。)
つまり、段階を追って、生徒のできることの難易度と、彼らにゆるされている自由度がともに上がっていること、そして、先生は各段階において必要なだけの補助を生徒に与えているということです。
このイラストで考えると、やすてる先生がおっしゃっている「全投げ」というのは、右端の段階のさらに先を行く「もはやアクティブ・ラーニングではない何か」に相当するのではと個人的には思えます。というのも、たとえ右端の段階にあったとしても、先生は生徒をモニターし、彼らのニーズを見つけ、必要な補助を与える役割をしていますので。
では、右端の段階に到達することを目指して「アクティブ・ラーニング」を行う場合、方法としては、左端から初めて徐々に右端へと移行していくのがいいのでしょうか。私の答えは微妙で(すみません)、まず「右端を目指す必要が本当にあるのかをよく検討すべき」で、次に「仮に右端を目指すのであれば、段階を追うべき」、でも、「一つの教科が全段階をカバーする必要はない」です。
これは主に私の前任校での経験を受けての答えです。私の前任校には私が国宝だと思っている司書教諭(仮名:山田先生)がいるのですが、山田先生は、中1地理→中2家庭科→中3公民、と学年を追って生徒が左端から徐々に右側へ進めるような「探究型学習」のカリキュラムを実践していらっしゃいました。(今も、それを改善しながら続けていらっしゃいます。)(その他にも、各学年活動の中でも、このカリキュラムに関わってくるような学習活動がありました。)ですが、私が知っている限りでは、山田先生はイラストの右端の段階に到達することを目標にはしていなかったと思います。
ということを踏まえると、私の答えは先に述べたような微妙なものになります。
それから、「段階を追うべき」の理由として付け加えたいのが、この引用です。
[M]inimally guided instruction can increase the achievement gap. (Clark et al., 2012, p.8)
最小限の教員の補助しか与えない指導は、生徒間の到達度の格差を広げうる。(訳:私)
これもやすてる先生がおっしゃっていましたが、
できる子は、結局どんなスタイルの授業であってもある程度の部分まで成功させちゃうんですよね。
— やすてる (@hisa_phone) February 24, 2019
「できない」を「できる」に持っていくのが教育の腕の見せどころですよね。
授業はそこにいる生徒全体をガッと1ランク、2ランク上に押し上げることを目指すべきだろうと私は思っているので、そういう意味で、「段階を追う」必要はあるかな、と。
ちなみに、引用した論文は「教員からの十分な補助のある授業はすでにできる生徒の力をさらに伸ばすことにも貢献する」とも論じています。注意すべきなのは、これは「ものすごくできる生徒」には必ずしも当てはまらないのだと加えられている点で、もしそういう生徒がいる場合には右端のフリーのタイプでいきなり取り組ませることを検討するのがいいと言えそうです。
余談ですが。私は今大学院で、地元の小中高の先生や大学の講師やその他教育に関わる仕事をしている人たちと一緒に学んでいます。つまり、教育についてはけっこう理解のある人間が集まっているのですが、その私たちでも、自分が学生としてフリーのタイプの課題を与えられると、まず間違いなく大いに困ります。で、「この課題で何をさせたいのかわかりやすく書いてまとめて」「ルーブリックくれ」「モデル(昨年度同じコースで提出されてA+をもらったもの)くれ」などさんざん言って、フリーのタイプの課題がフリーのタイプの課題でなくなるところまで力ずくで持っていきます(笑)。
それでも、中には断固としてフリーのタイプにこだわる課題もありましたが、それはそれで、教授から「何か決める前、何か始める前には必ず相談に来てほしい」と全員がはっきり伝えられていて、相談に行くと適切な補助やアドバイスをもらえて、路頭に迷わないようになっていました。要は、教授側にはフリーのタイプにこだわる理由がはっきりとあって、「そこは譲れないけれどそれ以外なら何でも言って!」というふうになっていました。
ただ、上の2パラグラフは、たぶん、学習者がけっこうな大人ならではのエピソードですよね。学習者側が「自分が今どういう状況にあって、どこで困っていて、どんな補助が必要なのか」をわかっていて、しかもコミュニケーション能力もそこそこにないと、こういう動きは取れないと思います。なので、もし小中高の先生がいきなりフリーのタイプの課題を出して、「何かあったら相談に来て!よろしく!」というスタンスでいた場合、それはうまくいかないだろうと思えます。
そんなわけで、今回は、「アクティブ・ラーニング」「生徒主体の学び」「探究型学習」というのは、実は「教員からの補助」をものすごく必要とするものなのだということを書いてみました。では「どんな補助が必要か」ということなのですが、それはもう少し勉強してから書きたいと思います。(書かなかったらすみません。)
それではまた次回まで。
Happy teaching, my friends!!
参考:
Clark, R. E., Kirschner, P. A., & Sweller, J. (2012). Putting students on the path to learning: The case for fully guided instruction. American Educator, 36(1), 6-11.
Kirschner, P. A., Sweller, J., & Clark, R. E. (2006). Why minimal guidance during instruction does not work: An analysis of the failure of constructivist, discovery, problem-based, experiential, and inquiry-based teaching. Educational Psychologist, 41(2), 75-86.