先生のためのアイディア帳

効果的な指導法やエトセトラについて

高額な研修会への愚痴と読んでよかった本のこと(マット・カーター『なぜあの人は、中学英語でもネイティブと仕事ができるのか?』)

f:id:ednotes:20190802182854j:plain

Photo by Kate Kalvach on Unsplash

こんにちは。

 

前回のエントリーで書いたような生活を送っているところで、夏期講習も終わったため、今日から一点の曇りもない正真正銘の夏休みを過ごしております。宿題もない、仕事もない、何もない夏休みなんて人生で初めてかもしれません。こんなに仕事がないとは予想していなかったので、旅行の計画すらありません。

 

 

 

そこへ来て、外は猛暑。そんなわけで、8月は読書月間と決め、昨日学校図書館から文字通り山のように本を借りて帰ってきました。先日受験したいわゆる「教採」の1次試験がありがたくも通っていれば、8月半ばから急に気忙しくなるとは思うのですが、とりあえず自分を読書の方向へ持っていこうという勢いはついたかなというところです。

 

当初は、「8月はいろいろな研修会へ行って…」と考えていたのですが、うーん、高額なものがあまりにも多くありませんか?研修会。研修費は学校から支払われますし、あまり気にすることはないのかもしれませんが、うーん。特に英語科だと、クオリティの高い勉強会を参加費無料で実施しているチームキムタツのような有志のグループを知っているので、3,000円~5,000円くらいであってもちょっと考えてしまうし、まして10,000円を超えてくるとなるとだいぶ考えてしまいます。

 

 

あとは、英語が少しわかれば、(そして時差にどうにか対応できれば、)自分の関心にドンピシャな無料のウェビナーをけっこうな確率で見つけられるので、それもあって研修会へ実際に足を運ぼうとする腰がどんどん重くなってしまいます。(もちろん、研修会に行ってよかったと「思えなかった」経験が人並みにはあることも理由の一つです。)

 

 

教育基本法第9条第1項」と「教育公務員特例法第21条第1項」によれば、「研究と修養」(研修)に励むことは教員の(努力)義務です。研修会の運営にお金がかかるのは重々承知しているのですが、研修会が「研修会ビジネス」になっているようだと筋が通らないように私などは感じてしまいます。

 

  

 

ということで、「8月は読書月間」という妥協案に辿り着きました。英語関連はタイトルにある1冊と英検の2次対策本のみで、あとは「若者と政治」的な内容の新書が3冊、そして小説が6冊です。ともするとライフハック的な本しか読まずに1年が過ぎてしまったりする私なのですが、たまに小説を読んだ時の「脱自己中心」感というか、「人間って計り知れない!」みたいな、「私の盲点のなんと広いことよ!」みたいな、あの感じを経験することが自分にとってよいものであるというのはよくわかっているので、やはり小説は読みたいです。はい。

 

とは言いながらも、最初に読み終えたのはタイトルにあるこちらの本。

 

 

とてもいい本でした。「『英語が話せる』ってこういうことなんですよ」ということを非常に平易に具体的に書いています。

 

amazon.co.jpで「なか見!検索」に飛ぶと目次が見られます。目次だけでもぜひご覧ください。一度でも実際に英語を使う場面に出くわしたことのある人なら、関心をぐっと惹かれる章がいくつかあると思います。(「著作権保護コンテンツ」と書かれているので、スクリーンショットは貼らない方がいいのだろうと一応判断しました。)

 

「英会話というのは人と人とのコミュニケーションですよ」「だから、こんな工夫やこんな工夫があるといいですよ」ということを全編を通して懇切丁寧に教えてくれていて、留学から帰ってきたばかりの私はもう頷きっぱなしで、自分でもびっくりしました。

 

中高でも、そして大学でも、習いませんよね、たとえば、「何か聞かれたら、答えは『3センテンス以上』」とか。(←この本の中で私が一番「これを知っていたらどう考えても英会話に役立つ」と思ったもの。)でも、これ、本当に本当に大事なんです。もちろん、経験の中から自分でこの結論に辿り着いてもいいのですが、でも、こういう本をパッと読んで、「なるほど」と思って、英会話をするときにはその心積もりでいれば、それだけでよりよく話したり聞いたりできるのではないかと思います。それによって余計なストレスを経験せずに済むだろうし。

 

学校英語は、限られた時間の中で、限られた目的のために教えられているので、そこでは教えられないものもたくさんあります。実際、今の時代でも、将来英語を使うつもりがない子供はかなりの数いることと思いますし、彼らが社会に出た後に英会話をせずに働き、生活していくことは十分可能なのだと思います。そうなると、この本に書かれているようなことは、(特に義務教育に携わる)教員にとっては、「授業で扱う最優先事項」にはならないのかもしれません。

 

この辺りの「学校英語」と「英会話のための英語」との乖離が、「10数年習っても日本人は英語を話せない」というおなじみの批判の原因の一つなのですが、この批判について何か言おうとすると果てしないので、今日はこの程度で。

 

それではまた次回まで。

 

Happy teaching, my friends!!

Creative Commons License

英語科の授業準備の流れの一例

f:id:ednotes:20190730203222j:plain

Photo by Sai Kiran Anagani on Unsplash

こんにちは。

 

夏期講習真っ只中の先生方も多くいらっしゃることと思います。先生方、生徒たちともに、水分補給を忘れないようお過ごしください。

 

かくいう私も、1学期終業式の直前からある学校に雇っていただくこととなり、学校現場に復帰しております。が、成績処理の最中に働き始めただけあって、職員室全体が私にかまっている暇がないまま今日に至り、その結果、部活動の顧問の仕事も校務分掌の仕事もほぼゼロに近く、今週は1日1時間だけ夏期講習を担当すればよいという夢のような毎日を過ごしています。(非常勤ではありません。)

 

担任なし、部活動顧問なし、校務なし。すべきことは教科指導のみ。何これ、天国?

 

夏期講習は、非常に限れた時間の中で、(他の先生方が決めてくださった)かなり欲張った内容のテキストを使用しているので、どうしても満足いかない感じが(生徒はどうかわかりませんが少なくとも私には)授業後に残るのですが、それでも、毎日30分~45分ほどきちんと腰を据えて翌日の授業の準備に没頭できるのが本当にうれしいです。幸せです。

 

誰の参考にもならないと思いますが、今やっている授業準備の流れを一応書いておきます。

 

  1. 授業の範囲になっているテキストを読み、問題を解く。
  2. 授業後に生徒に何ができるようになっていてほしいかを決める。(具体的な目標の設定)
  3. 設定した具体的な目標に沿って、授業で実際に扱うテキストの問題を選び出す。
  4. 何をどの順番でどう扱うかを決める。
  5. 生徒の活動(ペアと話す・私の質問に答える・発音する・読む・問題を解くなど)をどう組み込むかを決める。
  6. 生徒の反応や質問を想定し、それへの応答の準備をする。
  7. 時間配分を決める。
  8. 時間がなくなった場合に省く部分を決める。
  9. 「今日の授業の流れ」を1枚のスライドにまとめる。(授業の最初に生徒とシェアするため)
  10. その他、スライドにしておいた方がよさそうなものをスライドにする。

 

教室にプロジェクターとスクリーン(電子黒板)が備わっているというのは前任校ではなかったことなのですが、これはいいですね。3日目にしてすでに重宝しています。欲を言えば、一人一台デバイスがあってwi-fiが使えてがんがんインタラクトしながらやっていくのが理想なのですが、残念ながら一人一台のデバイスwi-fiもないのが実際のところです。(この環境でも効果的に学びが生まれていくやり方を夏の間に考えたいと思います。)

 

これだけ時間と気持ちに余裕があれば、もっと何かすごいことができてその結果すごい授業ができてもいいような気がするのですが、そういうことは起こらないですね。少なくとも、今のところは起きていません。

 

もっと勉強して頑張ります。

 

それでは、また次回まで。

 

Happy teaching, my friends!!

Creative Commons License

【体験レポート】31年度東京都公立学校教員採用候補者選考(第一次選考)

f:id:ednotes:20190716200807j:plain

Photo by Ben Mullins on Unsplash

こんにちは。

 

タイトルの通り、おととい第一次選考を受験してきました。英検のような試験と違って、受験後にツイッターを見てもあまり受験者がいろいろ言っているのを見かけませんが、どうも易化したのだろうという感じがします。

 

====================================

 平成31年度東京都公立学校教員採用試験候補者選考(32年度採用)問題・正答・配点

====================================

 

まだ一次選考に通過したかわかる前にこんなことを言うのもあれですが、一応、私の勉強の過程をまとめておきたいと思います。(後日更新:一次選考、通過しました。)

 

     1. 過去問を2年分解く

 

 

     2. 教職教養が半分もできないことがわかる

     3. 教職教養の勉強のための参考書を買う(ここまでが4月の最終週)

     4. 参考書を使いながら過去問の答えを考える

     5. 参考書だけではとても答えがわからないことがわかる

     6. インターネットを使いながら過去問の答えを確認しようとする(1日1問、すべて終えるのに2か月経過)

     7. なかなか勉強が面白くならないので、『学校教育の戦後70年史』を並行して読み始める

     8. 最後の2日間は「きょうさい対策ブログ」のツイッターアカウントが出している演習61問を解く。

 

skyosai.com www.shogakukan.co.jp

twitter.com

 

「6」の段階で「きょうさい対策ブログ」に出会えたこと、そして、「7」の段階で偶然『学校教育の戦後70年史』に出会えたことは非常にありがたかったです。

 

教職教養の参考書は「これが最低ライン」というののめどをつけるのには役に立つのですが、それだけだと、いくらノートにまとめたりしても全然頭に残らないんですよね。

 

「きょうさい対策ブログ」と『学校教育の戦後70年史』があったおかげで、おぼえようとしていることがそれまでよりもだいぶストーリー化されて、頭に残るものは残ったように感じています。正直言って事細かな部分はほとんどおぼえていないのですが、何がどうなって今の学校教育があるのかを自分なりにつかめたのは収穫でした。試験勉強をただの時間の無駄にせずにすんだことに、感謝感謝。

 

ちなみに、論文は1か月ほど前にフォーマットを確認しましたが、実際に書いて練習してみたのは残り1週間を切ったころに2回だけでした。専門教養は勉強しませんでした。

 

これをご覧になっていらっしゃる方、これから教採を受験する予定があれば、「きょうさい対策ブログ」は間違いなくおススメ、また、気が向くようであれば『学校教育の戦後70年史』も強くおススメします。

 

最後に、またまた私事ですが、(成績処理の真っただ中という)本日から新しい学校での仕事が始まりました。Classiの運用がまずは事務的な側面から徐々に始まっているそうで、できれば夏休み中にシミュレーションをして授業で使えるようにしたい…とさっそく夢を見ています。

 

classi.jp

2016年の3月に前任校を辞めてから3年と3か月。久しぶりに戻っても、学校のあの学校な感じには一瞬で慣れてしまうものですね。

 

それではまた次回まで。

 

Happy teaching, my friends!!

Creative Commons License

「学齢の子どもが学問をする気になるか問題」について

f:id:ednotes:20190627200004j:plain

 

こんにちは。

 

運転の練習がてらあちこち出かける&就職活動を進める&英検の勉強が気にかかる傍ら、教採の勉強も少しずつ(本当に少しずつ)進めている今日この頃です。

 

教採の勉強に関しては、まったく頭に入ってこない事項がかなりある一方、心を占拠してしまうような事項もあり、今日はそのことに関連させながら少しだけ。

 

私の心を占拠してしまうような事項。詳細には述べませんが、それらの事項について考えていると、「学齢の子どもであることって大変」という以上に言葉が出なくなります。毎回の授業開始時に、ただ真っ直ぐに「さあ、学ぶぞ」と思えている子がいたらそれこそ奇跡ではないかと思えてきます。

 

「学齢の子どもであることって大変」と私が思うに至ったあれこれを単純化させるために、マズローの「欲求の段階構造説」を引き合いに出してみます。

f:id:ednotes:20190627194528p:plain(引用元:https://jibun-compass.com/maslow

 

『教職教養の要点理解』によると、この図は「低次の欲求が満たされないとそれより高次の欲求の充足が困難になる」ことを示しているのだそうです。マズロー自身も述べているとおり、この順番が前後することもあるのですが、中高を教えてきた経験の中では、私はこの図で説明できるような事例をたくさん見てきた気がします。

 

私立学校に勤めてきたためか、「生理的欲求」が満たされていない生徒は直接知っている中にはいなかったのですが、それ以上にある4つの欲求に関しては、ほぼ全員と言っていいくらいの生徒が多かれ少なかれ満たされないものを感じながら学校生活を過ごしていたと思います。

 

そして、さらには、学校というのは集団生活の場。自分が自分の満たされない欲求をなんとか満たそうとしている隣で、別の30人が同様に彼らの満たされない欲求を満たそうとしているわけです。学年単位や課外活動単位、学校単位になるとこれが何百人とか千何人とかいった規模になりえます。これはちょっとした修羅場かと。

 

教育関連でマズローのこの図が引用されるとき、必ずしも「これら5つの欲求がすべて満たされていないと、とても落ち着いて学問などできない」ということを言いたいわけではないだろうと思うのですが、でも、これらの欲求の中にあまりにも満たされていないものがある場合、それはその子どもが学問をするのを妨げるだろうと思えます。

 

同じ制服を着て同じ教科書を開いて同じ教室の中に座っていると、子どもたちが一様に準備万端整って授業に挑んでいるように見えることがあるかもしれませんが、それはおそらくありえないことで、彼らは一人ひとり全然違っていて、それぞれが大小の葛藤を抱えながらその日その日をサバイブしているのだと思います。授業中が休み時間で、休み時間がその子にとっての本番である子どももいれば、学校にいる時間自体が丸々休み時間で、学校の外にいる間がその子にとっての本番である子どももいるのだろうと思います。

 

私はこっそり、自分の授業を通じて生徒一人ひとりが「所属と愛情」「自尊」「自己実現」の欲求を0.01ミリでも満たしていくことができたら、と願ったりしながら授業をしています。生徒指導を通じてはもちろんなので、授業を通じてもそれができたら、と。

 

ちょっと想定外に説教臭くなってきている気がするので、このあたりで終わってみます。それではまた次回まで。

 

Happy teaching, my friends!!

 

参考:

マズローの欲求5段階説をこの上なく丁寧に解説する。あなたの欲求はどのレベル?」https://jibun-compass.com/maslow

『教職教養の要点理解』https://amzn.to/2X4cCHV

Creative Commons License

VRと「失敗できる」練習:『駐車の達人4』への感謝とともに

こんにちは。

 

朝乃山関、おめでとうございます!

 

さて、私がバックでの駐車ができなくて困っていることは前回のエントリーで書いたとおりなのですが、ここ数日で何をどうすればどうなるのかがけっこうわかってきて、とりあえず白線の中に車を収められるようになってきました。

 

ではこの数日間に何があったのかというと、『駐車の達人4』との出会いがありました。(そのきっかけになった動画も以下に貼り付けておきます。興味のある方は2:14からご覧ください。)

駐車の達人4

駐車の達人4

  • SUD Inc.
  • ゲーム
  • 無料

 

 

 

それ以前にも、ウェブサイトや動画を検索して、バックでの駐車のコツをあれこれ学んだ上で近所の駐車場で練習したりしていたのですが(真面目)、この「知識+限られた練習」だけではあまり効果がなくて、結局、『駐車の達人4』を使うことによってプラスアルファの練習をする機会を得られて、やっとリアルな場面でもうまく駐車できるようになってきたというわけです。

 

ここで強調しなければならないのは、この『駐車の達人4』を使って得られる機会というのがバーチャルであるということです。バーチャルだとどんな利点があるか。ズバリ、「失敗できる」、これです。

 

車の運転というのは私たちの生活の中で「失敗できない」ものの代表格だと思います。走行中はもちろんのこと、自分以外人が全然いない駐車場での駐車時であっても、どこかに当てたりする確率は多かれ少なかれあって、修理にかかる時間や費用のことを考えると「失敗できない」と思うのがふつうだと思います。

 

ただ、リアルでの駐車の練習とバーチャルでの駐車の練習との両方をとおして感じたのは、「失敗できない」練習の効果には限界がある、ということでした。私の場合は、ゲームの中で壁や他の車に100回くらいぶつかっているうちに、ウェブサイトや動画で説明されていたことの意味が10倍くらいよくわかってきました。そして、次に実際に駐車するときには、「この場合はこうでしょ」と、確信をもって、しかもわりと即座に、車の動かし方を判断できるようになっていました。

 

これで思い出したのは、UBCでのEducational Technologyの授業で「VRを授業に取り入れる利点」をブレインストーミングしていた時のことです。そこで挙がった答えの中に「コストが比較的低い」「リスクが低い、もしくはゼロ」というのがあったのですが、今回の『駐車の達人4』を使った私の学びの経験はまさにこれのいい例だと思いました。他にも、医師が手術の練習のためにVRを利用するとか、建築士VRを利用して建物の強度を確認するとか、例は山のようにありそうです。

 

ともすると机上の受験勉強に追われがちな学校現場では、「実際に自分でやってみる」ことの重要さが強調されることが多くあります。でも、「実際に自分でやってみ」さえすれば何でもいいというわけでもない、と『駐車の達人4』を使ってみて実感した次第です。

 

「いくらでも」「失敗できる」練習をする機会を与えてくれるという点で、VRというのは優れた教育ツールになり得ます。小中高の教科学習などでも、探してみると「使えるわー」というのがけっこう出てきそうな気がしています。というか、出てきすぎて選択が難しいくらいかもしれません。

 

何か面白いものをご存知の方がいらしたら、ぜひ教えて下さい!

 

それでは、今日はこの辺りで。

 

Happy teaching, my friends!!

Creative Commons License

セントラル・デザイン(Central design)とは何か

こんにちは。

 

月日の経つのは早いもので、5月ももう後半ですね。前回の更新から今日までの2か月の間に、UBCでの修士課程を修了し、1年8か月間住んだカナダを離れ、日本へ帰ってきました。2020の3月までは非常勤講師としてどこかの学校に置いてもらえたらと思っていますが、それが決まるまではもっぱら教員採用試験と英検のための勉強、趣味の勉強、家族のアレコレがメインになりそうです。

 

そんなわけで、人生夏休みモードに腰までどっぷりつかってしまっており、最近はだいたいのことに対してハングリーになれません(笑)。せっかくカナダで運転を始めたので、日本でも運転をすることに決めて、ここ2週間ほど家族の車で練習をしていますが、それが今一番努力していることだというくらい、チルった毎日を送っています。相撲とかゆっくり見ちゃいます、全然。(それにしても、日本、道が狭い…トンネルが多い…バックで駐車…)

 

と、要らぬつぶやきが長くなりましたが、今日は「セントラル・デザイン」についてです。前回のエントリーで参照したRichards (2013)だけを文献にしてそこからあれこれ考察していくのでかなり盲点が広くなるかもしれませんが、というか、そもそも自分の備忘録程度にしかならない可能性が高いのですが、あらかじめご容赦ください。

 

以下の順で進めていきます。

  1. セントラル・デザインとは何か
  2. セントラル・デザインの利点
  3. セントラル・デザインの弱点

「セントラル・デザイン」というのは「カリキュラム・デザイン」の一種です。「カリキュラム・デザイン」とは何か、ということは前回のエントリーでゆるく定義してありますので、関心のある方はそちらをご覧いただくのもいいかと思います。もちろん、「カリキュラム・デザイン」で検索した方がいいという話もあります。

 

とは言っても、「セントラル・デザイン」は単元・学期・学年単位という大きな枠組みよりは、毎時の授業単位という小さな枠組みに関わってくるので、「カリキュラム・デザイン」の一種というよりは、「授業計画」の立て方の一種ととらえておくので十分かもしれません。

 

1.セントラル・デザインとは何か

セントラル・デザインの雰囲気を理解するのにぴったりな文があるので、まずはそれのご紹介から。

Despite the approach they have been recommended to use in their initial teacher education, teachers’ initial concerns are typically with what they want their learners to do during the lesson. Later their attention turns to the kind of input and support that learners will need to carry out the learning activities. (p.14)

 

教員養成課程でもともと勧められていた指導法が何であれ、ふつう教員は「授業中に学習者に何をしてほしいか」をまず気にします。そしてその次に「それらの学習活動を学習者が行うためにはどんな情報やサポートが必要か」ということを考えます。(訳と「」による強調:私)

 

これを読んだだけで、「おお、これ知ってる!」な感じがありませんか? 一応図でも表してみます。

f:id:ednotes:20190521192403p:plain

Richards (2013)の論文の中にある図の用語をわかりやすくしただけの図なのですが、かえってわかりにくいかもしれません。それでも、上の引用文をふまえて見ると、なんとなく伝えようとしていることが感じられたりしないでしょうか。

 

自分が英語科の教員だからかもしれませんが、この「授業中に学習者に何をしてほしいか」から始めてそこから授業を組み立てるというこれ、わりとよくあるように私には思えます。

 

たとえば、中3の授業について「このところ読む・聞くばっかりだから明日はしゃべらせたいな。じゃあ、ビンゴを使ったインタビューをクラス全体でやろうか。(5×5のマスの中にいろいろな文言が書いてあって、それに当てはまる人が見つかったら該当するマスをチェックできて、それでビンゴを目指すゲームです。)うまくいかせるには語彙力も必要だから、授業の最初に5分間一緒に練習して、3分間でオンライン辞書の使い方も練習して、わからないところは質問してもらって、…」というふうに組み立てていくとき、これはセントラル・デザインを使った授業の計画の仕方だと言えると思います。

 

さらに極端な例だと、「あのインタビューのゲーム、いつも盛り上がるから明日はあれにしよう。じゃあ、そのためには…」という場合もあるかもしれません。

 

いずれにしても、上記のような授業では「生徒がたくさんのクラスメートと英語で話をしながら情報交換をする」という学習活動が行われているわけですが、セントラル・デザインにおいては、この学習活動(①どう教えるか)というのがデザインの肝になります。その学習活動において教員が生徒にどんな知識や技能を教えるか(②何を教えるか)、また、生徒が具体的に何をできるようになるか(③何を学ぶか)というのは、学習活動を行った結果、自然についてくるもののようにみなされます。

 

ここでは、「②何を教えるか」はインタビュー中のやり取りで使われる語彙や表現でしょうし、「③何を学ぶか」は生徒それぞれがインタビューを通してできるようになったことになります。

 

そんなわけで、しつこいようですがもう1つ引用を入れてまとめると、

What they [approaches using Central designs] have in common […] is the priority they attribute to learning processes, classroom participation, and the role of the teacher and the learners in creating opportunities for learning. (p.20)

 

一般的に、セントラル・デザインを用いた指導法は、学習の過程、授業への参加、そして、教員と学習者が学びのための機会を作り出すことを重要視します。(訳:私)

ということになります。

 

2.セントラル・デザインの利点

Richards (2013)がそう言っているわけでも何でもありませんが、セントラル・デザインの利点は2つあるように私は思います。

 

1つ目は、教員にとっての使いやすさです。

Teachers were much more likely to visualize lessons as clusters or sequences of activities … (p.14)

 

教員は授業を一続きの学習活動として視覚化してとらえる傾向が強い。(訳:私)

 

確かに言われてみると、「最初の5分で自由に発言させながら、前回の復習。その後、今日の単元の内容について引き続きいろいろ言いたいことを言ってもらって、そこから今日のポイントを一言で説明して、そこから教科書のターゲット・センテンスを見て発音練習。次に、ワークシートを配ってリスニング…」というふうに、私も50分間の授業を学習活動の連続としてとらえています。これまで意識したことすらありませんでしたが。

 

Richards (2013)が参照した研究結果では、教員がセントラル・デザインを用いて授業計画を行うことはだいぶよくあるのだそうです。

 

これはただの私の見解ですが、たとえば、大人数のクラスで授業を行う場合には、教員はその大人数の行動をある程度管理する必要があるので、「学習活動をいくつも連続させていくことで50分間の授業を計画する」というやり方は特に重宝されそうな気がします。

 

2つ目は、学習者が主体となった学びの経験を生み出せることです。

The purpose and content of a course ‘will vary according to the needs of the students and their particular interests’ (Krashen and Terrell, 1983: 65). (p.16)

 

授業の目的と内容は生徒のニーズと関心によって変化します。(訳:私)

 

上の図にある通り、セントラル・デザインにおいては、授業計画をする際に最初にしっかり決まっているのは「①どう教えるか」、つまり「学習活動」、あるいは学習者目線で言うと「何をするか」だけです。言い換えれば、「②何を教えるか」、つまり「学習内容」と「②何を学ぶか」、つまり「学習目標」はものすごくフレキシブルなわけです。

 

探究型学習や卒業プロジェクトといったいわゆる生徒主体型のプロジェクトなどがよい例かと思います。

 

3.セントラル・デザインの弱点

一言で言うと、「オープンすぎる」ところでしょうか。言い方を変えると、「これ、評価どうするの?」という。

 

私はバックワード・デザインやexplicit instructionが個人的に大好きなので、セントラル・デザインほど「学習内容」と「学習目標」がオープンだと、たぶん授業をしていて評価のことが心配になると思います。途中途中のformative assessmentとフィードバックも、最終的なsummative assessmentも効果的にできる自信がありません。

 

ただ、実際には、単元・学期・学年単位の「カリキュラム・デザイン」は「バックワード・デザイン」でしてあって、日々の授業は「セントラル・デザイン」で計画するというのが一般的なのではと勝手に推測しています。そうすれば、何もかもオープンには成り得ませんので、そのクローズドになっている部分に依って立ちながら、教員がリードする部分と学習者がリードする部分とのバランスをとっていけるのだと思います。

 

さて、「セントラル・デザイン」、いかがだったでしょうか。先生方が「カリキュラム・デザイン」や「授業計画」をされる際に何か使っていただけることがあったらうれしいです。

 

次回は、私がどれだけバックでの駐車に苦戦しているかについて書きたいと思います(half serious, half joking)。それではまたその時まで。

 

Happy teaching, my friends!!

 

参考:

Richards, J. C. (2013). Curriculum approaches in language teaching: Forward, central, and backward design. RELC Journal, 44(1), 5-33. doi:10.1177/0033688212473293

Creative Commons License

フォワード・デザイン(Forward design)とは何か

こんにちは。イチロー引退のニュースに驚いています。

 

さて、今回はタイトルのとおり、「フォワード・デザイン」について、以下のような順で書いてみたいと思います。

  1. フォワード・デザインとは何か
  2. フォワード・デザインの利点
  3. フォワード・デザインの弱点

(私個人は「バックワード・デザインを取り入れることが指導の改善につながる」という立場に立っているので、「3. フォワード・デザインの弱点」の後で数行分だけ「バックワード・デザインを取り入れることがもたらす利点」に触れています。)

 

(バックワード・デザインについて書いているエントリーはこちら。)

 

ちなみに次回は、「セントラル・デザイン」について書く予定で、それをもって、

  • フォワード・デザイン(Forward design)
  • セントラル・デザイン(Central design)
  • バックワード・デザイン(Backward design)

という3大「カリキュラム・デザイン」を網羅したことにしたいと思います。

 

そんなわけで、今さらりと「カリキュラム・デザイン」という言葉を滑り込ませてみましたが、やはり先に進む前に「カリキュラム・デザイン」とは何かを定義しておきます。

 

まず、ここで言う「カリキュラム」とは何なのでしょうか? 以下の定義が当てはまるかと思います。

[C]urriculum typically refers to the knowledge and skills students are expected to learn, which includes the learning standards or learning objectives they are expected to meet; the units and lessons that teachers teach; the assignments and projects given to students; the books, materials, videos, presentations, and readings used in a course; and the tests, assessments, and other methods used to evaluate student learning. (出典:https://www.edglossary.org/curriculum/

 

一般的に、カリキュラムは生徒が学ぶべき知識と技能について言及したものです。カリキュラムに含まれるのは、生徒が到達すべき学習目標、教員が行う授業、生徒に課される課題やプロジェクト、使われる本、教材、ビデオ、プレゼンテーション、読み物、生徒の学びを評価するためのテスト、課題などです。(訳:私)

 先生方が「カリキュラム」と聞いてパッと思いつくものとほとんど、もしくはぴったり一致しているのではないでしょうか。

 

1つの「カリキュラム」がカバーする範囲については、この定義の中では特に触れられていません。この定義に当てはまるようであれば、6年間や3年間の長期計画、1年間の中期計画、単元や授業ごとの短期計画、すべてを「カリキュラム」と呼んでいいのだと思います。ただ、実際には短期計画は英語ではUnit plan(単元単位の指導案)とかLesson plan(授業単位の指導案)とか呼ばれるのが一般的で、「カリキュラム・デザイン」と呼ばれているのは聞いたことがありません。これは、その日その日の授業計画が上記の定義に当てはまるような書き方では書かれないからではないかと私は想像しています。

 

これ以外にも、文脈によっては、「カリキュラム」という言葉はさらに広義に「生徒の学びの経験を作り出すもの」を指す場合があり、Hidden curriculum(隠れたカリキュラム)はその代表例と呼べると思います。いろいろな「カリキュラム」については、いつか簡単に紹介しようと思います。

 

以上の狭義と広義の「カリキュラム」の定義の両方を踏まえつつ、ここでは「カリキュラム・デザイン」は「生徒の学びの経験を作り出すための計画」というくらいの意味で使いたいと思います。

 

以下、次の2つを主な参考文献としながら話を進めます。

Richards, J. C. (2013). Curriculum approaches in language teaching: Forward, central, and backward design.

Wiggins, G. P., & McTighe, J. (2005). Understanding by design (Expand 2nd ed.).

 

「カリキュラム・デザイン」における3つの構成要素は以下の通りです。

  • 何を教えるか(input)
  • どう教えるか(process)
  • 何を学ぶか(output)

「カリキュラム・デザイン」をする際に、この3つの構成要素のどこから始めてどう展開させるかによって、その「カリキュラム・デザイン」は「フォワード・デザイン」と呼ばれたり、「セントラル・デザイン」と呼ばれたり、「バックワード・デザイン」と呼ばれたりすることになります。

 

それでは、ここからは「フォワード・デザイン」についてです。

 

1.フォワード・デザインとは何か

 

図にしてみました。

f:id:ednotes:20190322133048p:plain

フォワード・デザイン(Forward design)

このような順序でカリキュラムをデザインしていくやり方を「フォワード・デザイン」と呼びます。

 

「① 何を教えるか」で具体的に行うことは「指導/学習項目のリスト化」であり、「シラバスの作成」でもあります。中学英語で言うと、「中1では、過去形が始まる以前の項目すべてを扱う」と決めて、その「過去形が始まる以前の項目すべて」をリスト化し、指導が効果的に行われ、かつ、1年間で終わるように並べる、という感じです。

 

「② どう教えるか」では、「① 何を教えるか」で選ばれた項目を生徒が学べるよう、指導法を決めます。具体的には、授業において「教員は何をするか」「生徒は何をするか」を決めるということで、中学英語で言うと、講義形式の授業をするのか、生徒にプレゼンテーションをさせるのか、ゲームをするのか、動画を見せるのか、などを決めるということです。

 

「③ 何を学ぶか」というのは「(学習者が結果的に)何を学ぶか」ということで、言い換えると、「指導/学習目標」です。さらには、その評価方法についてもここに含まれます。「③ 何を学ぶか」はフォワード・デザインにおいては「① 何を教えるか」と「② どう教えるか」に続いて自然と発生する「結果」のように扱われるため、あまり重要視されません。というのは、フォワード・デザインがそもそも「教員がある項目を扱った=生徒はその項目を学習した」とみなす考え方に基づいているからです。

 

「教員がある項目を扱った=生徒はその項目を学習した」とみなす考え方は、20世紀に広く受け入れられていた「指導すること=教員が知識や技能を生徒に伝達すること」という考え方と関連がありそうです。(実際にあると思うのですが、出典がはっきりしないので、もし出典を見つけたられたら追記します。)

 

2. フォワード・デザインの利点

 

Richards (2013) は「フォワード・デザイン」の利点を次のようにまとめています。

 

「語学指導において」と文脈が設定されていますが、それにも関わらず、日本の小中高の教科指導一般を思い起こさせるような文章です。

 

In language teaching, forward planning is an option when the aims of learning are understood in very general terms such as in courses in ‘general English’ or with introductory courses at primary or secondary level where goals may be described in such terms as ‘proficiency in language use across a wide range of daily situations’, or ‘communicative ability in the four language skills’. Curriculum planning in these cases involves operationalizing the notions of ‘general English’, or ‘intermediate level English’ or ‘writing skills’ in terms of units that can be used as the basis for planning, teaching and assessment. (p.9)

 

語学指導において、「一般的な英語力」とか、小中学校の入門レベルでの「日常会話程度の英語力」とか、「4技能を用いたコミュニケーション能力」とかいうように、学習目標が非常にあいまいな場合、フォワード・デザインが役に立つかもしれない。このような場合のカリキュラム・デザインは、「一般的な英語力」とか「中間レベルの英語力」とか「ライティング能力」といったような概念を単元化することによって具体化し、計画、指導、評価を可能にする。(訳:私)

 

さらに面白いのは次です。

 

A forward design option may be preferred in circumstances where a mandated curriculum is in place, where teachers have little choice over what and how to teach, where teachers rely mainly on textbooks and commercial materials rather than teacher-designed resources, where class size is large and where tests and assessments are designed centrally rather than by individual teachers. […] Forward design may also be a preferred option in situations where teachers may have limited English language proficiency and limited opportunities for professional development, since much of the planning and development involved can be accomplished by specialists rather than left to the individual teacher. (29)

 

必須化されているカリキュラムがあり、教員には何をどのように教えるかという選択権がほとんどなく、教員が、自分で作成した教材ではなく、主に教科書や市販の教材に基づいて教え、1クラス当たりの人数が多く、そしてテストや評価は個々人の教員ではなく地方自治体や国によってデザインされている場合に、フォワード・デザインが役に立ちうる。[…] また、教員の英語能力が低く、教員養成の機会も少ない場合にも、フォワード・デザインが好まれる。というのは、フォワード・デザインを用いたカリキュラム・デザインは、個々の教員ではなく、専門家によってなされうるからだ。(訳:私)

 

引用がだいぶ長くなりましたが、ここで言われていることは、教員にとって「検定教科書」が何を意味するかを考えてみると、とても理解しやすいかと思います。

 

検定教科書というのは、「① 何を教えるか」をほぼ100%決定し、そうすることによって「② どう教えるか」の大半も決定しています。ほとんどの学校は、生徒の将来の受験に備えた指導をしているため、検定教科書が決める「① 何を教えるか」「② どう教えるか」を無視することはできません。

 

こう考えると、検定教科書は教員側からすると窮屈な枠組みのように聞こえそうですが、Richards (2013) の議論を踏まえると、実際のところはそうばかりではないと言えます。

 

たとえば、もし私が新任で、「① 何を教えるか」「② どう教えるか」をすべて自分で決めていいと言われたら、喜ぶどころか確実に途方にくれます。

 

2つ目の引用にあるとおり、「フォワード・デザイン」というのは、「① 何を教えるか」「② どう教えるか」を教員の代わりに決める「専門家」の存在に大きく依拠する可能性をはらんでいます。また、「③ 何を学ぶか」は「① 何を教えるか」「② どう教えるか」に自動的についてくる「結果」のようにみなされます。

 

これらの結果として、教員は「① 何を教えるか」「② どう教えるか」「③ 何を学ぶか」のいずれについても主体的な役割を持つことがなく、与えられた枠組みの中でただ日々の授業を行っていればよいということになります。

 

かなり極端ですが、「フォワード・デザイン」に基づいたカリキュラムがあれば「誰でもすぐに授業ができる」という言い方もできそうです。Richards (2013)はそこまで言っていませんが、解釈していくと、究極的にはこれが「フォワード・デザイン」の一番の利点であるという考えが透けて見えるような気がします。

 

戦後に教員不足を急いで解消しなくてはいけなかったという日本の状況も、もしかしたら「フォワード・デザイン」に基づいたカリキュラムを歓迎することにつながったのではないかと思ったりもします。

 

3. フォワード・デザインの弱点

 

フォワード・デザインの弱点は、一言で言うと、その「哲学」にあります。「指導すること=教員が知識や技能を生徒に伝達すること」であり「教員がある項目を扱った=生徒はその項目を学習した」であるという考え方が正しくないというのは、誰もが学習者として経験しているだけでなく、多くの研究によっても言われています。

 

「教員がインプットを与えておけば生徒はそれを自分の知識・技能として身に着け、アウトプットできるようになる」ことを前提とした指導の一番の問題点は、指導において「指導/学習項目」が重視され、それを学ぶ「生徒」の存在が軽んじられてしまうことにあります。

 

学ぶということは、(特に外国語習得においては、)学習者と学習対象、学習者と学習環境、さらには生活環境や社会環境までが関係しあった複雑な行為であるということが研究によって示されていますが、これはつまり、学びの主体である学習者の存在を軽んじることは彼らの学びを妨げるのだということを意味しています。

 

学習者の存在にもっと光を当てるためには、「③ (学習者が結果的に)何を学ぶか」を今よりも重視することが必要であり、ここで「バックワード・デザイン」が役に立つことになると思います。

 

そんなわけで、今回は「フォワード・デザイン」について書いてみました。今後「カリキュラム・デザイン」をされる先生方に使っていただけるようなことがあればうれしいのですが。

 

次回は「セントラル・デザイン」について書きたいと思います。それではまた次回まで。

 

Happy teaching, my friends!!

 

参考:

https://www.edglossary.org/curriculum/

Richards, J. C. (2013). Curriculum approaches in language teaching: Forward, central, and backward design. RELC Journal, 44(1), 5-33. doi:10.1177/0033688212473293

Wiggins, G. P., & McTighe, J. (2005). Understanding by design (Expand 2nd ed.). Alexandria, VA: Association for Supervision and Curriculum Development.

Creative Commons License