先生のためのアイディア帳

効果的な指導法やエトセトラについて

自ら考える力? 21世紀型スキル?「考える」ってどうやるの?

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Photo by Patrick Perkins on Unsplash

こんにちは。

 

タイトルの通り、今回は「考える」ことについて書いてみます。

 

振り返ると、「考えなさい」と言われる状況も言う状況もこれまでに何度もあったのですが、これ、かなり高い割合でバズワードにしかなっていなかったんじゃないかと思います。言われている立場としては「そう言われても…」という思いが、言う立場としては「言われていること、わかるでしょ」という思いが多かれ少なかれあって、このズレが結局「考えられない」という結果を招いてしまうという。こういう経験、ありませんか?

 

いつの時代も教育に関わる人たちは「考える」ということを言い続けてきたと思うのですが、現代の教育界でも、「21世紀型教育」とか「21世紀型学習」とかいう用語と一緒に、「考える」という言葉がこれでもかというくらい飛び交っています。正確には、以下の3つが頻出「考える」です。

 

Critical thinking(批判的思考)

Creative thinking(創造的思考)

Collaborative thinking(協働的思考)

 

これら3つの思考力を伸ばす。これ、どうされますか? 私が思うのは、生徒が「考えることについて考える」活動が必要だろうということです。explicit instructionかimplicit insructionかでいうと、explicit instructionです。なぜか。それは私が、ここで話題になっているタイプの思考力というのは自動的に伸びていくものではないと思っているからです。年齢を経て知識と経験が増えるにつれて思考力も自動的に伸びそうですが、うーん…ないかなあ…。生徒を見ていると、あたかも年齢とともに思考力が上がっていくように見える例が非常に多くありますが、それは彼らが「考えることについて考える」経験を積んだ結果だと私は解釈しています。

 

「考えることについて考える」というのは、つまり、「どうしたらよりよく考えられるかを考える」ということです(私の勝手な定義)。要は「思考法」ですね。視点を変えながら挙げていくと際限なく出てきそうですが、私が今思いつくのは以下のような感じです。

  • ある(与えられた)話題について基礎知識を得る
  • その話題の問題点(考える余地のある点)を明確に把握する
  • その問題点についてすでに存在する解決策や議論を確認する
  • すでに存在する解決策や議論の背景になっている状況を確認する
  • 自分と話題との関連性を見つける
  • その問題点について思いつくアイディアを挙げる(ブレインストーミング:書く、絵や表にする、独り言を言う、他人に話す、などなど)
  • それらのアイディアを比較したり合体させたりしながら、よりよいアイディアへと改善していく
  • アイディアの変遷を記録する
  • 自分のアイディアが本題から逸れていないか確認する
  • 自分の考え方の癖を自覚する
  • 他人の立場に自分を置く
  • 他人の考えを聞く
  • 時間を置く(頭を冷やす)
  • 考えがまとまったら、なぜそう考えるのか理由も挙げる
  • 自分の考え(方)に盲点がないかを確認する

偶然にも、批判的思考、創造的思考、協働的思考の3つすべてをカバーしていて、自分ではなかなかいいリストができたなとニコニコしているのですが、いかがでしょう?(「他にもこんなのあるよ」というのがありましたら、ぜひコメントでお知らせください)

 

たとえば、クラブで役職についている生徒が部員の参加率が低くて運営に困っている場合など、彼らは実に上手に上記のような方法を使って問題を解決しているように思います。他にも、小論文やプロジェクトなどで質の高い結果物を出してくる生徒も上記のような方法を駆使しているように見えます。

 

さて。仮に「生徒がこれらの思考法を使って自分で考えられるようになる」というのを指導目標にしたとします。この目標をexplicit instructionを用いて達成しようとする場合、最も手っ取り早いやり方はこのリスト(じゃなくてももちろんいいです)を生徒にあげて、様々な話題を使いながら、ひたすら練習➡フィードバック➡練習の繰り返しを行うことです。もちろん、いろいろな活動を通じて、生徒に彼ら自身のリストをゼロから作らせることもできますし、このリストをあげて生徒にそれを改善させるという方法もあります。でも、大事な部分は「考えることについて考えながら考える」練習をたくさんすることだと思います。「思考法」についてよく知っていても、実際に考えなければ能力としては身に着きませんので。

 

「考える」という行為は目に見えず、それ自体を計測することはできません。その上、「考える」ことは非常に個人的な、その人独自のやり方でなされるべきことです。おそらくこれらのうちどちらか、もしくは両方が多少なりとも理由になって、学校で思考法を(あまり)教えないのだろうと私は予想しています。思考法は思考内容に対して大きな影響力を持ちますので。思考法を教えるということはある種の価値観を教えることにつながります。たとえば上記のリストでは「情報の正確性」「意見の客観性」「他者への理解」といったことをプラスに評価する価値観が直接的、間接的に生徒に伝わることになります。

 

ただ、北米などと同様、日本は政府が「21世紀型スキルを伸ばしたい!」と(定義も曖昧なままに)言っており、これはそこに含まれる価値観の肯定を前提にしているので、「価値観を押し付けないためにも思考法は教えない」というのは、うーん…ないかなあ…(2回目)。文科省のウェブサイトではそこここで「自ら考える力」という言葉が出ていますし。

 

ちなみに、この「自ら」というのはきっと「自発的な」という意味で、きっと「積極的に物事と自分との間につながりを見つけ、そこにある問題点に気づき」と言い換えられるのだと思います。が、そのためには、まずは生徒が思考法を学んでそれを使う練習をすることが不可欠ではないかと私は思っています。

 

いかがでしょうか。次回「考える」ことを生徒に促す際に使っていただけるアイディアが何かあったらいいのですが。

 

それではまた。

 

Happy teaching, my friends!

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