先生のためのアイディア帳

効果的な指導法やエトセトラについて

なぜ先生はぐだぐだな評価基準を変えられないのか

f:id:ednotes:20190219165812j:plain

Photo by rawpixel on Unsplash

こんにちは。

 

前回は「成功していないformative assessment」は「評価基準がぐだぐだである」ということを書きました。「評価基準がぐだぐだ」な状態というのは、「評価基準が生徒の学びの向上に役立っていない」状態であると定義しておきます。

 

前回は英語の発音指導におけるダメな評価基準の例として「ネイティブっぽく聞こえる」というのを挙げましたが、今回の本題に入る前に、ここでさらに別の例を挙げて、具体的な評価基準がどうformative assessmentとその後の指導につながるかを見てみます。

 

事例:単語の小テスト

 

評価基準が生徒の学びの向上に役立つ場合:

A先生は生徒が単語をおぼえる際の評価基準として「単語の発音と文字表記を正しく一致させておぼえていること」を重視している。なので小テストは、先生が単語を発音して、生徒は各単語を選択肢の中から選び番号で答えるという形式で行っている。小テストの結果が生徒の理解を表しているので、ミスがあった部分を先生は次の指導でさっそく補う。たとえば、arのerと発音のちがいを、口の形のちがいを使って説明し、練習させるなど。

 

評価基準がぐだぐだな場合:

A先生は生徒が単語をおぼえる際の評価基準として「小テストで8割以上をとること」を重視している。小テストは教科書付属のものを利用している。8割に達しなかった生徒には再試を行い、それでも8割に達しない場合には宿題として単語を書かせて提出させている。

 

書いていて胸が痛むのですが、自分の経験を振り返ると、私はこの後者の状態から完全に抜け出せたことがないように感じます。なぜだったのでしょう。私の場合に限られるかもしれませんが、理由を考えてみます。これが今回の本題です。

 

「なぜ先生はぐだぐだな評価基準を変えられないのか」

 

① 評価に関心がないので、与えられた評価基準を採用している

② 評価に関心があり、改善案もあるが、裁量権を持っていないので、与えられた評価基準を採用している

③ 評価に関心があり、裁量権も持っているが、改善案がないので、 与えられた評価基準を採用している

 

①、②、③それぞれ等しくあるあるな理由かと思います。

 

①の「評価に関心がない」はなんだかやる気のない先生みたいに見えますが、そうではないと思うんですよね。特に、formative assessmentという考え方にあまり馴染みがない先生であれば、「評価=結果に関するもの」「指導=プロセスに関するもの」と切り離してとらえ、「評価はあくまで生徒の学習活動の結果に対するものであって、それは生徒次第なので、自分は指導に力を入れよう」という方針を取っていても不思議ではありません。

 

②は学校もしくは教科の問題ですね。既存のシステムを変えるのは大変です。ただ幸い、評価に関する裁量権が先生個々人に全然与えられていない場合というのはかなり珍しいと思います。どんな学校もどんな教科も生徒の学びを向上させたいに決まっていますので(、と信じたい)。

 

③は先生が教育学についてあまり知識がない場合の理由で、これも日本の教員免許取得の流れを考慮すると残念ながら珍しくないと言えます。多くの先生が「教科」のエキスパートであって、「教育」のエキスパートではありませんから。当然、教える経験を積む中で先生は教授法を磨いていきますし、その過程で研修に参加したり研究論文を読みながら自分の教授法をさらにアップデートしていく先生もたくさんいます。が、先生の過酷な労働状況を思うと、そういう自己研鑽の機会は非常に手に入りづらいだろうと想像できます。ですが。(何度も流れをひっくり返してすみません。)教育について学ぶことって、実はそんなに時間や手間のかかることじゃないかもしれないんです、2018年において。カナダに来てからprofessional learning communitiesとかprofessional/personal learning networksについてさんざん耳にし、自分も参加してみている今、「やったらできるよ」という感想を私は抱いています。このprofessional developmentの話題についても、いつか書きます。

 

というわけで、今回は「なぜ先生はぐだぐだな評価基準を変えられないのか」について考えてみました。「評価基準ぐだぐだ問題」の根っこを探ると、次に何をしようかアイエディアが湧いてきませんか?

 

次回は、理想的な評価基準とは一体どんなものなのか、あーでもないこーでもないと考えてみる予定です。

 

それではまたその時まで。

 

Happy teaching, my friends!

Creative Commons License